シリーズ 接待① 日本経済の全盛期の接待に痛感した、日本の企業文化の崩壊の亀裂

こんな経験ありませんか。あなたは地方都市の会社の営業部長です。取引先の方が来社されることになり、社長から“ちゃんと接待するように”と指示を受けました。しかし、何処に連れて行ったらよいのか分かりません。そこでネットで検索しましたが、あまりこれと言った店が表示されません。そこで高級レストランを選択したところ、フランス料理店が1軒だけアップ。そこに決めました。しかしそもそも、自分がフランス料理に詳しいわけもないし、来られたのが年配の方でもあり、お互いちぐはぐで接待終了。翌日、会社にみえられても昨夜の接待の話は出ず…。


一時、接待が悪のようにとらえられた時期がありましたが、相手のことを正しく忖度する接待は、今の仕事を活かすだけではなく、両社の関係の良き潤滑油になります。しかし残念ながら日本のサラリーマン諸氏には、これらの知識や情報に疎い人が多いのもまた現実です。

日本経済の絶頂期“バブル”。その時にすでに今日の衰退は予測できていた

日本にも兼ねてより“接待文化”はありました。それが絶頂に達したのが80年代のバブル期でした。当時の高揚感と言うのは、残念ながらあの時代を経験していない世代には想像すらつかないと思います。繁華街の通りには黒塗りのリムジンが列をなしていましたし、大通りには少なくとも3列縦隊に客待ちのタクシーの列ができていました。其処此処で1万円札のチップが舞い、どんなものでも、中身に関係なく価格の一番高いものから飛ぶように完売して行きました。株成金が次々に誕生し、1億円を越えるゴルフクラブの会員権は社会人の必須アイテムとなり、若いサラリーマンでもマンションなどの不動産物件の2つや3つ持っていても珍しくない、そんな時代でした。


私はその頃、社会人になって少しは世の中が見え始めた時期でもありましたが、高々社会にでて10年にも満たない若者が“社会ってこれほど甘美なものか”と感じていたような時代でもありました。
しかし同時に、嫌味なほどの現実主義者であった私は「こんな異常な状況が10年と続くはずがない」と思い、周りにも言って廻っていました。それは私が時代を見る目に長けていたわけではありません。ちょっと離れてみれば、そんな馬鹿な状態が長く続かないことくらい誰でも分かるものですが、バブルに舞った札束はそんな人心を麻痺させていたのかも知れません。

駆け出しのサラリーマンが高級店を“梯子”する異様さ

その頃、勤務していた会社の2年下の後輩から、「超高級店を6軒教えてほしい。遠いのはタクシーで1時間以内ならOK」と言うものでした。理由を聞くと今度の会社の行事の際、得意先を接待する許可がでたので3日間の昼と夜に接待費をフルに使うのだと言うのを聞き、時代の頽廃ここまで来たかの感を抱きました。いくら会社の行事があると言っても、たかが若手の営業担当者の接待です。当時の感覚では接待はこちらからの参加を含めると4~6人で行く事が多く、高級店の値段だと6回の食事とそのあとを考えれれば100万は下りません。


しかしこれは日本の隅々で見られた現象でした。少し大きな取引きになるとあらかたの打ち合わせを夕方に行って、最終の詰めは高級店とか有名店でと言うのが普通でしたので、双方にとっても“この接待は仕事のうち”と言う暗黙の了解があったのです。だから高級店に行っても、そこで料理を楽しむなどと言う事はしてはいけません。あくまでも仕事だからです。にも関わらず、同行させた女性社員をホステス代わりに使ったり、打ち合わせの間中、野卑な話題に花が咲くなどは普通のことでした。

接待を受けてはいけない人が、してはいけない人に接待される滑稽さ

同時に当時の特徴としては、企業に接待に関する定義も規律もなかったので、上は社長、会長から、下は入社1年目の駆け出しまで、誰もが接待をして、また受けてもいました。金銭のやり取りについてのケジメは皆無だったと思います。2~3萬円の社員の使途不明の領収書なども、“交際費で落としておけ”。上司がそう指示している時代です。今でもそうですが企業活動に於いて金銭のやり取りに分別がないような会社はあり得ませんが、日本の接待はそんな滑稽さが内包されていました。

“バブル崩壊” しかし、浪費癖はいつまでたっても治りませんでした

89年バブルが崩壊してその後、日本は前例のない長期に亘る“デフレ経済下の構造不況”に陥ります。各企業は可能な限り無駄な出費を抑えようとしましたが、なかなか本格的な“経費削減”には至りませんでした。日本全国の社会全体に染み付いた接待文化は人々に“特権階級意識”を植え付けていて、その頃国民の80%以上が、自分は上級階層であると豪語した時期でした。しかしその現実は人間の“野卑さ”や“堕落”、“ゆすりやたかり”、“無責任”や“自分勝手”が単に闊歩していたに過ぎないものでしたが、そんなことも是正されるには10年を費やしましたし、未だ多くの業種・業態では同様の状態が継続しています。

私はこれまで勤勉で責任感に溢れた日本人が、これほど惨めな結果を生み出した重要な原因のひとつが“接待”にあったと考えます。そしてそれは接待が持つ、本来の意味や意義とは全く違うものでした。同じ接待でも、日本で生まれて育った特殊な“日本型接待文化”が、その幹を腐らせて、バブル崩壊とともに朽ち果てて行くことに繋がってしまったのです。

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