きのこは別に秋だけに限った訳ではないのですが、何故か秋になると無性にキノコ料理の存在が大きくなってきます。しかしきのこと言うのは本当に神秘的な存在です。そんな特別なきのこに想いを馳せるのにぴったりなシーズンが、やはり秋ということでしょうか。もともときのこは扱い方さえ間違えなければ結構保存の効くものですが、最近ではきのこの産地などに拘ったお店なども増えてきましたし、“旬”という観点で集客が図れることもあって、和食、寿司、イタリアンやフレンチ、中華などでも盛んに使われるようになってきました。しかし、例年多いのは、ちょっときのこをかじった(ちょっと知ったと言う意味で、本当にかじったわけではないのですが)人が、そこらで見つけたきのこを食べて中毒になったなどと言う事故です。
この秋、毒キノコ中毒にならない為に知っておいてもらいたいこと
以下に、5つの“きのこについてのミニ知識”があります。間違いはどれでしょうか?
①柄が縦に裂けるきのこは食べることができる
②毒キノコでもナスと一緒に煮ると中毒しない
③塩漬けにすれば、毒キノコは食べることができる
④ナメクジや虫が食べているきのこは食べることができる
⑤毒キノコは触っただけで中毒症状に至る この中に1つだけ間違いがあります。
さて、お分かりでしょうか。これは引っかけで、答えは⑤です。確かにカエンタケなどの例外を除いて触っただけでは中毒にはなりません。しかし問題はこのあと、“1つだけ間違いがあります”の部分です。そう、この5つは全て間違いです。毎年のように、私も知らないような新しい“きのこミニ知識”をよく聞くのですが、毒キノコの見分け方に、1つ1つを経験で見分ける以外、このような定説がないことは肝に銘じて頂きたいと思います。
また、このような例があります。10年ほど前のことで、何処で起きたことかは失念しましたが、食用として広く食べられてきた“スギヒラダケ”による集団中毒は確認され、20人近い死者が出て50人くらいの方が急性脳症などに感染しました。これまで普通に食べられていたものが何故? この事態は当時、バイオテロとの関連などまで疑われました。もしこれが“変異”によるものだとすれば、脅威となります。きのこを食べなければ良いと言う問題ではありません。例えば、毒キノコと食べても何らかの理由で平気な生き物などはいくらでも存在しますから、2次、3次感染がないなどとは言えません。まさにきのこに対する正確な情報は必然となります。因みにスギヒラタケについてはことがことですから、農林水産省が徹底的な調査をして結論を出しています。畢竟は“明確な原因は分からないので、とにかく食べないでほしい”というものでした。
(農林水産省のHP)
“きのこ”。その偉大なる存在意義をご存知ですか
自然史博物館などのジオラマで、恐竜の模型の周りに巨大なキノコ類が群生しているのがありますが、きのこと恐竜が同じ時代に生存したかはかなり眉唾です。細かな記述は“美味礼賛”の目的ではないので割愛しますが、要するに、恐竜が生存した時期よりも、きのこが生存した時期の方が新しく、そこに交わる時期がないと考えられるからです。つまり恐竜が生存した1億年を越える時期には堆積された植物などの有機物は地下に堆積して、その結果として石炭や石油になっていた時期にあたります。
そして菌類が登場して大量の有機物を効率的に分解させるようになりました。それまでの石炭は、きのこにとって代わられることになりました。地球は新たな、そしてこれまでとは違った自然循環システムを持ち、新たな生物、菌類の登場の時代を迎えました。そう“きのこ”はそこらに生えている植物とは全く違ったものです。もしかしたら、人などよりももっと大きな“使命”を帯びた存在なのかも知れません。
キノコ料理。私はこんなところで堪能します
話が大きくなったところで、きのこを食すると言う本来の“美味礼賛”に戻りたいと思います。最近は結構街中でキノコ料理の看板を見かける事が増えてきたような気がします。食材卸の会社などでは、かなり行き届いた“キノコ商品”を用意していることも一因でしょうが、なにより一般的に受け入れられるようになったことが大きいと思います。東京などではちょっと高級なキノコ料理店が現れてきました。
例えば銀座の“御膳房”や六本木の“シャングリラズシークレット”などは存在感が高いですし、恵比寿辺りにはキノコ料理の店をよく見かけます。恵比寿の居酒屋“きのこ”でもほど良いキノコ料理を味わえます。大阪でも市内四ツ橋でも“キノコの里”など比較的お安いお店があります。便利な時代になりました。しかし、間違いなくこれらの店で使われるキノコは地方で採れたものでしょう。その証左として地方でキノコ料理を得意とするお店は、きのこの種類も鮮度も、もちろん味も一段違っているように感じます。
長野県に行くと“とくべえ”や“やま茶屋”に足を運ぶことが多いですし、岐阜高山の“肴”は、キノコだけでなく山の幸の宝庫で、冬場の猪鍋は毎年堪能します。地方はそれでなくても、豊富な食材に溢れていますので、いつも迷うのですが、きのこを選んで失望することなどあり得ないと常に感じます。
本当に好きなキノコ料理は地味なもの
しかし私が本当に好きなキノコ料理は、もっと地味なものです。例えば奈良県の東吉野にある“きのこの館”は、周りにあまり何もない山奥の集落にあるのですが、シンプルな分、味わいが豊かでとても美味しく感じます。もっと好きなのは、例えば長野の妻籠や馬籠の土産物屋さんに積まれているワンコインのキノコの袋詰めを買って帰って、フライパンを使ってバターで炒めるだけで、どんな高級レストランにも真似のできない上質な時を過ごすことができます。炙っても、炒めても、鍋にしても抜群なキノコ料理は日本の宝であることは間違いはないでしょう。