秋の京都案内 京都と色彩の関わり

秋になると、紅葉を愛でようと多くの人が京都に押し寄せます。それでなくても観光客のメッカであったり、とテレビや雑誌で紹介されたりすると、その波は洪水となってきます。夜にはよく寺院のライトアップがありますが、人気の場所では光悦垣ならぬ人垣越しでないと見ることはできず、また人熱れと高人口密度にぐったりしてしまいます。帰りも、まるで甲子園での野球観戦帰り並みの混雑となれば、何も好き好んで行かなければ良いのにと言うものです。


しかし、かく言う私も京都県民ではありませんが、秋だけでなく時間ができればせっせと京都に足を運んで何十年となります。京都の良い部分も悪い部分(結構これが多いのですが)も知ったうえでも、いや知ったからこそ、やはり行かざるを得ないと理屈をつけて訪れています。そんな私的な京都をご紹介してみようと思います。

まず「紅葉」から。「色彩」をしっかりビジネスに結び付ける強かさ

なにも紅葉が京都でしか見られない訳ではありません。実際地方からだと京都に向かう道中で、すでに美しい紅葉など嫌と言うほど見ることができます。にも関わらず人気の紅葉スポットは大混雑で、例えば東福寺の通天橋は下から7~8メートルある架橋ですが、あれだけ人がいて、よく落ちないものだと感心します。また以前は人の少なかった、いわゆる穴場にも、時代と人の波は押し寄せるようで、西京の大原野神社や金蔵寺、東山の将軍塚青龍殿なども、もう今年は駄目かもと思っています。
しかし最初の疑問。何故日本国中どこにでもある紅葉をわざわざ京都に見に来るのでしょうか。それは紅葉という色彩と京都の地をしっかり結び付けて観光ブランド化しているからです。

日本には実に豊富な色彩があります。そしてその色には美しい名前があります。例えば一口に「赤」と言っても紅花から抽出したものは「紅(くれない)」ですが、それよりわずかにですが鮮やか系のものは「韓紅花(からくれない)」とか「深紅(こきくれない)」と言い、少し華やかなものは「赤紅(あかべに)」、あと「真朱(しんしゅ)」と言うのもありますし、水銀を使った朱を「銀朱(ぎんしゅ)」と呼びます。でもこの色は比べれば分かりますが、一色で見ると区別はなかなかつかないほど繊細です。


青色系統は、そうした細かな分類に合わせて色名も豊かです。くすんだ浅い緑青色は「錆浅葱(さびあさぎ)」と言い、「浅葱色」と区別しますし、落ち着きある色合いは「錆御納戸(さびおなんど)」、濃くして「鉄御納戸(てつおなんど)」と区別します。しかし染の青には「舛花色(ますはないろ)」や「熨斗目花色(のしめはないろ)」や「勿忘草色(わすれなぐさいろ)」などもあり、これらも単色ではなかなか判別がつきません。ところが今でも、染に関わっている者には、この知識は受け継がれていて、日本から色の文化をなくさないようにしています。
基本的に色とは植物から作られるものです。かつて「日本茜(にほんあかね)」と言う色があり、これは赤根と言う植物から時間をかけて作り出される色ですが、すでに江戸時代には赤根もその染色も知識が途絶えていたのを、現在京都の染織屋と奈良県五條市の農家が共同で蘇らせようとしています。鎌倉期の鎧に使われていた茜色が傷んだので、明治初期に一部修復したものがありますが、現在では修復したものは色が褪せているのですが、もとのものは千年近く経っても色が落ちていないというのですから驚きで有り、大した技術です。

京都に息づく色彩を観光資源に昇華させたプロデュース力

話が長くなりましたが、要するに日本の色はかつては植物から抽出されたのですが、その効果は単に色をつけるに限られたものではなく、現代に於いても再現すら困難な高度な先端技術でもあるのです。
戦前は何もない集落に過ぎなかった京都ですが、かつて西陣など織物、染め物などの文化があったため、和服や小物に色の文化をマッチングさせて行きます。それに伴って食文化にも色を取り入れ、それが四季を表現し始めて行き、やがて京都は日本の旧い文化を脈々と受け続けた美しい街というコンセプトを確立するようになりました。


これは簡単そうに見えてなかなかできることではありません。衣食住に関わる多くの職業の人達が、その新しい時代の京都のコンセプトに同調し、色を活用するのですから。やがて京都の衣食住に関わる分野にも古い色彩を取り入れるようになり、それを前面に押し出すようになりました。秋の紅葉を表す色や、季節和菓子や懐石料理の色合いにも取り入れられました。洋服では色彩の違いを表せないため、和服文化が根強く残りましたし、土産物屋にも色彩を取り入れたものでまとまりました。
特に食べ物に色彩が重要な役目を果たしたのは誰もが認めるところです。例えば秋の和菓子は「紅葉写しの菓子」と言って、年間で最も美しい「赤」が集まります。塩芳軒の三葉紅葉の赤は濃い朱ですし、千本玉壽軒の高雄は文字通り高雄山の紅葉を写した多彩な朱…というようにです。京懐石の色彩はそれぞれ独特に見えますが、しっかりした色彩のルールが守られているからこそ、京都の街のイメージとなります。

民間中心の100%観光都市京都

そう考えると紅葉の名所は決して紅葉が綺麗だから皆が来ているのではないことに気づかれるでしょう。その朱は1年を通して庭職人が手を加え、色の量を調整したり、建物に対して自然に美しく“被る”ように心血を注いだから、人に感動を与えるのだと言う事が分かってきます。つまり京都というのは、自然ではなく100%人口の観光都市であると言う事です。


ちょっと長くなってしまいました。京都については興味がある方も多いと思いますので、料理や文化などについてはまた、改めてご案内して行きます。

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