スペインのカタロニア州の独立選挙の成り行きが注目されています。なぜ独立なのか、そもそもカタロニア州とは…と言うのはここのテーマではありませんので割愛しますが、私はカタロニアは20世紀中に、それも1990年早々にも独立するだろうと感じていました。それは1980年頃にこの地に赴いた時の経験から感じたことです。車で州都バルセロナに向かっていると標識がスペイン語表記とカタロニア語表記で並んで掲げられていましたし、私が滞在したところでもカタロニア人(本人がそう言っていましたが)達が、もうすぐカタロニアは独立するのだと嬉々として語っていたからでした。
しかし、まだまだだと言う方の意見では“歴史や民族、文化や民族の誇りは負けないが、経済はスペインに寄りかかっているから”と言うのが多かったのが印象的でした。
莫大な予算投入でも“地方創生”の成功例が依然ない現実
その後、スペインとの関わりあいもなく、今回の独立選挙の報道で俄かに思い出したのですが、この時に聞いた「経済はスペインに寄りかかって…」と言う件は何かにつけて思い出されてきました。例えば且つて日本経済が好調時に、企業では出世の方法として「予算と人事を握る者が勝つ」と言われたものですが、これなども企業活動と言うのはその事業自体の業績に貢献したものが優位に立つと思えるのですが、実際は組織を動かす為の資金の割り当てや資本の利用方法を決めるだけの人が実験を握る現実を表したものと言えるでしょう。
それを現在の地方創生に置き換えるとしっくりきます。地方創生と言うのは平たく言うと、地方経済の力強さになります。しかし現実的に地方創生でイニシアティブをとっているのは中央から地方への補助金の流れです。“どの地域のどの事業に”補助金を流すかを決める立場が地方の経済の行方を握っていて、片方では雁字搦めの岩盤規制で縛り付けているのですから、これでは補助金を配ることが目的化されていると言われても仕方がないことでしょう。現在まででも膨大な地方創生資金が政府から地方の行政組織を通じてばら撒かれていますが、建物を造るだけで一向に成功例として、地域全体の数値に反映されないのは当然の帰結だと言わざるを得ません。
置き去りにされる3次産業
それでもこれら莫大な創生資金は市場に下ろされました。そのほとんどは1次産業に、ついで2次産業に注がれているように思えます。日本の90%以上と言われる中小企業については反映されません。おそらくは1次、2次産業が票田になりやすい傾向があるのが一因でしょう。また地方の役所などにしても彼らとの関係は深く、扱いやすい為、すぐに効果の出る相手として支援がし易いのでしょう。役所はその成果についての責任は関係がありませんから、如何に予算を消化するかが問われますので、先の企業の出世の方法とその中身が一致します。
しかし、地方経済を本気で立て直すのであれば、間違いなく優先順位は3次産業であり、在住者に他なりません。地方の3次産業が今のように凹んだままでいくら補助金を注ぎ込んでも笊のように抜け落ちるだけです。かつて経済企画庁では来るべき将来に向けた街づくりの為に「歩いて暮らせる街づくり」というプランを作成して全国に試験的地域を募集しました。しかし、これは当時の企画庁長官の理想とされたのか、このプランでは官僚の旨味がないと判断されたのか実行はされましたが、あっという間に有名無実化されました。丁度現在の特区というのとよく似た構図のように見えます。
地方経済の復興は、地方の個別事業者の経営改善なくしてあり得ない
本来すべきは例えば無秩序な大型店舗の乱立の許容ではなく、地域に多くの中小企業や自営業、店舗、事業所を充実させるかへの取り組みです。砂漠にどれだけ立派なオアシスを造るかではなく、名は無くても緑豊かな景色が続く地方を造るかです。現在は3次産業に対する措置がなさ過ぎるのと同時に、あまりに多くの規制と既得権益者が瀰漫する環境で地方は苦しんでいるのです。
且つてカタロニアでは独立すべきタイミングで独立することはできませんでした。それはやはり“地方経済”が問題だったのでしょう。そして今、独立投票に持ち込めたのは、同州がスペイン屈指の域内総生産を生み出すことができたからで、いずれも“地方経済”がポイントとなっています。日本の地方が本当の意味で経済創生を図るには、個々の県が独立州となるほどの仕組みがなければ、今のように餌を待つ小鳥のままであれば不可能となるのだと言えるでしょう。