随分以前の話になりますが、イギリスの博物館に勤めておられた方とお話しする機会がありました。彼は「自分の知る限り、日本の団体客は世界でも一番礼儀が良く、マナーをきちんと守っているのはなぜですか」と聞かれました。私は「社会に出ると職場で作法や礼儀に口やかましく言う事が多いからですかね」と答えると、腑に落ちた様子で、「同じ日本人でも、学生は駄目なのに不思議だったんです」と言われました。
あれから四半世紀以上経ちますが、最近ではよく真逆になったと聞きます。つまり学生が礼儀も正しく、マナーも守るのに、社会人以上の世代は“駄目”で、いわゆる年長者の団体はかなり身勝手が目立つと酷評されることが多いのです。
失われてゆく、社会人としての礼儀と作法
「徐々に社会人としての礼儀や作法は死語になっている」。先日、退職後、関連会社に再就職した知人と会食していた時に、彼はそう溢していました。知人は大手の建設会社に勤めていたので、失礼ながらそれほど礼儀や作法に厳しい社風とは思ってはいなかったのですが、どうもそうでもなさそうで、「あんな応対をしていたら、自分達の時代ならば叱り飛ばされていた」と言います。つまり関連会社の若い世代の礼儀作法が駄目で、定年退職した知人の世代がマナーに厳しいわけで、私が聞いていた「今は真逆になった」話とは相反します。これはいったいどういうわけでしょうか。答えは単純で、要は知人が“特殊”であり、且つ仕事で多忙で海外旅行などに行けない、彼の職場世代の環境がそうであるだけだということでしょう。また同時に今の学生はそれなりの情報や教養を備えているのか、大変スマートな応対が目立つのではないかと思います。
社会的ルールを自己解釈して育った“団塊の世代”
団塊の世代については様々な意見がありますが、やはりかつての学生世代、つまり今の団塊世代が“駄目”なまま成長したのが、この20~30年の変化だったのかも知れません。“駄目”と言う表現は適切ではありませんが、ただこの団塊の世代と周辺世代は、かつての学生運動の経験に基づく無責任や甘えなどの社会判断から、かなり独特の考え方を持っているのかも知れません。最初に言っておきますが、一口に“団塊の世代”と言っても個人差はあります。しかし相対的にという縛りを当てはめればという前提だと思って頂ければと思います。団塊の世代は、私から見れば“ひと昔上の世代”ということになるのですが、私のこれまでの経験でも、やはりよく言えば“破天荒”、悪く言えば“社会的常識が欠如”した方が多かったように感じます。その原因の一つになるのでしょうか、その世代には“公”より“私”を優先する癖があったように思えます。
社会の礼儀作法の基本的な意義は“社会的・人間的効率”にある
人には家庭があり、学校に通う人もいるし、また職場に勤める人もいます。また職場にも民間企業や自営業もありますし、公務員もあるでしょう。どの場合でも社会という概念は同じではありますが、職場、特に民間企業などではその概念の基本的な性質が違うと言えるでしょう。例えば家庭や学校などではその概念は私的なものであっても良いでしょう。しかし職場となるとそうは行きません。社会は本来、求める目的に向かって協力し合う“目的社会”である必要があります。その中で自らを向上させるには社会ルールを身に付ける必要があります。私的価値を優先するのであれば組織社会には生きれないはずです。先の知人にしても、大手建設会社では、実に多くの人達が1つのプロジェクトに関わってきます。その為に、その目的化が明確でなければ、多くの齟齬が発生して、無理や無駄が発生してしまいますから、目的化を疎かにはできない、そんな体質だったのです。
社会人としてのマナーの基本は「社会的・人間的効率」である
先程、社会ルールを身に付けると言いましたが、では身につけるべき礼儀作法の本質は何かといえば、それはひとこと“社会的・人間的効率”と言えるでしょう。この場合の社会的と人間的とは2つの相反するものを“効率”という物差しで一つの理念にまとめることです。この理念は交通規則と同じものです。多くの規則があっても、それを遵守することで人も車も効率よく移動することができます。この交通規則が私的な解釈がされるものであってはないことは容易に想像できますが、こと社会人としての礼儀や作法などということになると“身勝手”が現れだすのでしょう。戦後特に現在に近づくほど、日本の職場ではこうした常識がなくなりました。そして多くの職場から大切なものがなくなりました。昨今、有名大手企業で考えられないような、低レベルの経営陣の言動や企業運営、職場環境の悪化が続いていますが、これらの根底にはこうした背景があるのだと思います。
服装も言葉遣いも文書も面談も、社会では自己流である事は許されません。それはそういう理由があるからです。いくら賢明な現代の若者でも、個性が大切だと吹き込まれるだけでは、正しい理解には繋がりません。社会との関わりの根底に礼儀や作法があることを理解して頂きたいと思います。