新聞の衰退とトランプ大統領報道

陽は昇る 私的日録
日々の移ろい・感受した
ことを書き連ねました

今から30年ほど以前はパリのカフェの風景と言うと、老若男女を問わず小さなテーブルで新聞に読みふける光景でした。私が足を運んだ小さなカフェでは早朝でも、新聞にアイロンをかけて読みやすくしていたので、手に印刷のインクが付く事もなく、心地よい手触りだったのを思い出します。先日、パリの街中を散策するという趣旨の番組があったのですが、時代というのか、彼らの手にはスマホが握られていました。しかし今世界では新聞に対する支持が急速に落ちているという声をよく聞きます。

これも無理はないかというのも、例えばパリの高級紙ルモンドはたった10年で8割の値上げをして、今では1部2.6ユーロするそうです。これは大体340~350円というわけですから贅沢品と言えるでしょう。ルモンドは経営改革でネット時代に則した戦略の見直しをしたおかげで5%の発行部数改善がみられ、同時にネット版契約は50%近く増えたそうですが、これを新聞の文字を読むのが面倒に感じる消費者が、見やすいネット版に飛びついたとみる向きがあります。確かにその側面は一部でないとは言えないでしょう。しかしそれだけが原因として、他の要因の精査をしないというのは早計な態度なのかもしれません。それでないと僅か10年で製品の価格を180%値上げするというような企業としての経営感覚は理解されるべくもありません。

ルモンドが極度の衰退をみたのは、元々同志の持つ記者の”上から目線”にあるのでしょうか。もちろんそれはノーで、畢竟、衰退の原因は新聞記者に対する信頼…つまり報道の根幹である記事に対しての信用が揺らいでいることが要因で、なにもルモンドだけの現象ではありません。

今世界のメディアで高い信用性と透明性を持っているところがどれだけあるでしょう。トランプ大統領に対する報道ひとつを見ても、且つての左派プロパガンダ記事が、トランプ批判に変っただけのような感情的な、多くの人が信頼性に欠けると感じる記事に溢れています。いや信頼性に欠ける記事しかないと言ってよいのだと言えます。それは日本についてもそうで、ルモンドの記事を見ていると現在の安倍政権についても「安倍=極右政権」の論調、いや前提の記事にしか触れることができません。中には明らかな中国系の記者の記事を、大した検証もなしに垂れ流していると読めるものばかりです。

元々、ルモンドはサルトルなどの左派が設立したものですが、それでも以前はインドシナや中東、南米に関する記事に、その後3~5年ほどしてなるほどと膝を打つような読み応えのあるものがありました。ところが今、世界の新聞は「ニュースマンからビジネスマンへ。そして独占大企業化から新興宗教化している」のではないかとすら思えます。

1986年フィリピンの三井物産マニラ支店長であった若王子信行氏の誘拐事件の時には、誘拐犯のアジトにメディアが”招待”され、双方の意見を忖度なしに報道していたのを覚えていますが、今のメディアには、そうした公正さや万人の信頼など、期待すべくもありません。新聞の信頼の崩壊は決してネットの台頭だけが原因ではないのでしょう。

 

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