日本に多くの外国人旅行者が来るようになってから、或いはオリンピック東京誘致が決まってから、日本では取りつかれたように「おもてなし」という言葉が跋扈するようになりました。丁度、東北の震災直後から「絆」と言う言葉が国中を席巻したようなものです。もちろん「おもてなし」や「絆」が悪いと言うわけではありません。しかし例えば「絆」にしても、広辞苑にも①として「馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱」とされていて、続いて②に「断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繫縛。」とされていますので、何かのきっかけで①の意味を使うことがあれば、営み自体の理解が変わる事もあることは、大袈裟かもしれませんが想定くらいはする必要があると考えます。
とにかく煩わしかった“おもてなしの宿”
震災以降、旅のパンフレットなどには“おもてなし”がなければ夜も日も明けないようになりました。それに伴い誠意ある宿やホテルなどでは、一生懸命“おもてなし”を提供する努力が見られました。しかしそれから数年経った今、“おもてなし”に対する評判はさほど良くなく、特に外国人旅行者からは“鬱陶しい”とか“面倒くさい”の言葉すら聞かれるようになってきました。
私にも同様の経験があります。仕事で、ある地方都市に行ったのですが、定宿にしている市内のホテルが満杯だったので、少し離れた温泉旅館に素泊まりで予約して足を伸ばしました。私としてはいつもと違った静かな雰囲気を味わえれば良い程度の感覚でしたが、そこではとても丁寧な“おもてなし”を受けましたが、申し訳ないですが、放っておいてほしいと感じました。原因は単にその時の気分がそうだっただけですが、いくら丁寧な“おもてなし”でも、私のことも分からず押し付けられるとそうなっても仕方がないと思います。
“おもてなし”には“無償の奉仕”の意味もある
サービス業関係の方から、お金を取って“おもてなし”をすることに関する疑問を受けることはしばしばありますが、こうした方は、かなり真剣にサービスの本質について取り組んでいる方です。知られていることですが“おもてなし”は英語でHospitalityのことで、言葉のイメージとしては“無償の奉仕”の意味があります。日本で言えば四国巡礼の時に地域の方がされる行為に近いかも知れません。ですのでお金をもらってサービスをしている仕事の基本に“おもてなし”を位置づけるだけで果たして良いのかと言う疑問は最もで、そこで間違えると、“おもてなし”の押し付けに終始してしまう事になります。
サービスの本質は“おもてなし”のホストをアシストすること
サービスにおもてなしの心は不要なのかというとそれは曲論です。つまりおもてなしの心は必要ですが、それがサービスの本質だと考えてしまうと、それはおもてなしの押し付けになってしまいます。ではサービスの本質。どう考えれば良いかということになります。それは「おもてなしをする人に完璧を目指したアシストをすること」に他なりません。
お客様は目的を持ってお店に来ます。例えばそこがレストランだとしたら、夫婦で来店されると言う事は、基本的にはご主人が奥様に楽しい食事で時間を過ごしてもらおうとされます。とすればおもてなしのホストはご主人です。もし一人で見えられた場合も同じです。それはご自分がホストとしても、もてなされるのも自分だと考えれば良いのです。いずれにしてもサービスをする立場の者は、ホストがおもてなしをすることをアシストすることが、その仕事だと位置づければ自分が何をすればよいのかが理解できるのです。夫婦で良い店を利用すると、サービスのホストに向かって「このようなものがありますが、ご提供しますか」などと聞いて来ますが、決して二人のどちらにも聞くということをしないのは、その辺りがしっかり理解できているのです。
一見さんお断りは究極のサービスの形
言葉の意味を曲解されているのに「一見さんお断り」というのがあります。普通は何と上から目線なのかと感じるものです。しかし客商売と言うのは、できるだけ多くの人に知ってもらい、利用してもらわなければ意味がありません。いくら“うちは一流だから、高い料金を払ってくれる一部の方しか受け付けない”と言っても思ったように良いお客様が続く保証など全くありません。上質の接客や飛び切りの料理が提供できても、それは変わりません。一見さんを謳うお店は大きなリスクを冒してでも、見えられるお客様がどのような方で、どのような嗜好を持っているかなどの情報を得たうえで、そのお客様に喜んでいただけるサービスを提供しようとしているのです。それが「一見さんお断り」の本来の意味です。
いくら、門構えが立派な高級レストランでも、予約を入れるとき、必要な事項を告げた後、「同行者は左利きです」と言っても、当日テーブルセッティングが右利きのままだというようなことは何度も経験しましたが、それほどお客様の嗜好に対応すると言うのは難しいものなのでしょう。
ほとんどのご商売では、お客様を絞るなどと言うリスクを払えるほどの実力はないものです。だとしても、まだ来られていないお客様に対して、せめて可能な限り心を配る。その心配りは“おもてなし”の言葉に相応しいものではないかと思えます。