90年代の「情報革命」は、企業の盛衰に与えた予期せぬ影響

ずいぶん以前の話になりますが、私がまだ“若手”であった90年代、日本中に旧態依然たる経営体制の企業がたくさんありました。日本が冷戦崩壊後、パラダイムが変わっても同じ失敗を繰り返すだけでなく、その責任を現場に押し付け、予算と人事を弄っては悦に入るような経営陣が巷に溢れた時代です。
その頃の大きな変化として「情報革命」があり、それまで上意下達であり、企業上層部だけに情報が伝えられてから、ゆっくりと下達していった市場の情報のベクトルが、上も下もその意志と方法さえあれば平等に取り入れられるようになり、いわゆる情報格差がなくなった時代でもありました。若く熱意ある若い世代が新たな媒体を活用して、これまで以上に精度の高い情報を入手しても、その術を知らない上の世代が感情論を振りかざして否定していたのもこの頃の特徴です。

 

誰も理解できなかった情報変革の中身

情報について言うと、この頃の情報変革は劇的なものでした。ネットの時代に入って、それまでとは全く別次元の情報を入手することが可能となった反面、それまでの情報と言うのは、せいぜい業界内での伝達事項の範囲をでないものまで落ちた存在になった印象がありました。その時代に、情報を活かすことができた企業の多くは、その後のデフレ時代も巧みに乗り越えたように思えますが、その逆の企業はいくら大きな組織を持っていても、じり貧になったり、すでに消滅したものも少なくない状態でした。
「情報革命は時代を変える」と、その頃は呪文のように唱えられましたが、それがどのような形で伝播するのかには誰もが確信が持てず、その頃は“変化する”とは言われていましたが“どのように”かを論じたものは少なく、あっても的外れなものが多かったものです。

90年からほぼ10年ほどの間は、それは単に情報伝達ルールが変わるので、誰もが平等に情報に触れることは分かっていました。しかしそれが市場の変化に、ましてや企業の存続に今ほどの影響を与えるメカニズムは明確性を欠いていました。21世紀に入って、その要因の中に日本の企業文化と人間性の問題が深く関わるケースが明らかになってきました。特に偏った村社会が持つ悪癖、或いはその残滓に由来するものです。

その時 会社はどう対処したか

多くの会社では、新しいレベルの情報がもたらされました。多くは若い行動力とウェブリテラシーのある世代が飛びついたものでした。情報の取得方法などにまだまだ粗削りな部分はありましたが、その精度と多角性についてはこれまでのものとは違ったレベルのものもありました。それもそのはずで、それまで伝える事の困難だったルートが整理され、また誰かのフィルター越しであった情報が素のままに、且つ極めて効率的に入手できるのですから、それは情報革命に相応しいものでした。
ただ、この技術はそれまでの管理職が最も苦手としたものでしたし、しばらくは彼らが積極的に若手に仕事を振っていたジャンルもあります。彼らは自分の分かる部分だけを抽出させましたが、時代が必要としたのは、彼らには理解不可能な部分でした。畢竟企業内では過去の業務のリピートと言う、ある意味責任逃れの方法が瀰漫して、組織は膠着して行きました。それが業績の悪化に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。そして、高い情報を持つ“現場”と、メンツを潰されかねないと考える“経営陣”との間には亀裂が生じ、そこにコンサルティング会社が入り込み、亀裂は決定的なものとなりました。


あれから20年経ち、“99%の会社はいらない”と言う本が出版され、ある程度的を射ていると考えられるのは、情報革命に接して感情論とヒエラルキー意識から脱却できたか否かによる選別が起きたからだと考えられます。

知識の軽視は日本全体の傾向でもあった

実はこの流れは、その頃の日本のそれと不思議なほど一致しています。例えば1990年後半のメディアでは、毎日ではないにしても、この難局を乗り越える為の知恵と知識を識者から学ぼうとする姿勢がありました。サミュエル・ハンティントンの著作が注目され、PFドラッガーがクローズアップされました。結果としては正しいとは言えませんでしたがフランシス・フクヤマの“信なくば立たず”などと言う地味な書籍が販売されたのもこのタイミングです。この頃は純粋に識者の主張から学ぼうとする姿勢がまだ残っていたように思えます。

ところがその後は、メディアも自分達で理解できる範囲でしか情報を流さなくなりました。また識者の文献にしても、時代も主張も的外れではありますが、なんとなく政権批判に使えそうなものをクローズアップするような姿勢が跋扈しました。テレビに至ってはその傾向は顕著で、識者の話をじっくり伺うなどのスタンスは散霧し、プロデューサーなどが自分の学校教育やメディアから覚えた稚拙な知識の範囲で番組を組み立てるようになりました。”庶民感覚”などと言う立ち位置からの、定義すら分からないようなタレントなどが、外交や国の政策について的外れな意見を堂々と主張する番組に様変わりした時期です。

勢い見てくれは派手でも、中身のないものが作られました。最初から“激論”と銘打っていましたし、出演者は少し論理的な雰囲気になってくるとプロデューサーから“大声を上げて場を盛り上げろ”という指示が入ったと聞きます。

 

 

“基礎的な勉強と教養の蓄積”の重要さ

こうした流れは少し異様な気がします。何故素直に“識者から学ぶ”姿勢が無くなったのかは、日本の思想の変化が深く関わっているように思えます。その一因は、戦後の日本の平等思想の曲解が辿り着いた末路という側面があるでしょう。しかしそれ以上に20世紀の持つ共産主義や社会主義のイデオロギーの残滓があるように思えます。この思想は多くの市民を取り込むために「社会と言うのは特別な一部のエリートで成り立つのではない。みんな(組織)でやることが正しいのだ」という考えを広めて行きました。それが戦後を遠く隔てた今、ボディブローのように効いてきているのではないかと考えます。

それもその世代がなくなれば失速するのでしょう。すでにそうした企業の多くは消滅しています。しかし戦後の異常な教育や社会、イデオロギーを実感している私達の世代の私達はこう考えます。これからの若い世代にはせめてこんな無駄なことで、貴重な時間を無駄にしてもらいたくない。限られた人生と言う時間のキャパシティの入り口では偏りのない基礎的な勉強と教養の蓄積、これに時間を費やして頂きたいと。

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