市場に溢れる大企業の“ぼったくり”価格操作が日本を滅ぼす

大阪の阪神高速道路を走行していた時、スタッフが「これはぼったくりですね」と言ってきました。“ぼったくり”と言う言葉。夜の歓楽街であれば別ですが、普通日常生活で聞く事はあまりありません。その瞬間感じたのは、「そう言えば、生活の中で頻繁に“ぼったくり”という言葉を聞いているのではないか」でした。

例えば、同じ大阪の市営地下鉄(最近“大阪メトロ”と名を変え、一応民営化しましたが、これと言って何も変わっていません)の料金。随分以前から“代表的ぼったくり”として不動の地位を維持してきました。或いは新幹線や航空機の料金。ドル箱の東京-大阪でも着実に“ぼったくり的値上げ”が続いていて、特に航空料金などは、当日購入だと2万円を裕に越えるなどは論外だと言えるでしょう。

市場に溢れる大手企業の“ぼったくり”価格操作が消費を冷やす

もちろん彼らにも言い分はあるでしょう。“ぼったくり”の持つ意味も、繁華街のそれとは定義は違うかも知れません。しかし間違いなくいえることは、これまで大手企業がその存在に胡坐をかいて、平気で理解不能な価格操作を行うような蛮行をしたことは今ほどなかったという事実です。
例えば、大型商業施設は特に地域の小売店を根絶やしにしてきましたが、現在ではドミナント戦略とでも言いたいのでしょうか、その出店料は聞くと信じられない額になります。(テナントが逃げ出したあとにユニクロなどで埋めるときは超格安なのだそうですが)

その店舗で販売されるアパレル商品も、まさに“ぼったくり”に相応しいほど法外な値付けが行われていて、年間の70%を越える時期に○○セールだとか、○○割引とか銘打って常時“50%引き”とか“70%引き”とやっているのはもう二重価格以外のなにものでもないでしょう。

では庶民の味方のスーパーマーケットはどうでしょうか。確かに新聞チラシには目を引く価格が並んでいるように見えますが、それもごく一部で、実際に買い物をすればそこそこ高くなった商品を買う羽目になります。それほど、スーパーを占める商品の中で高価格(これまで199円で手に入れられていたものがなくなり、グレードをあげたようなものが299円と言う意味の高価格)が増えています。

都市部もそうですが、今や地方で瀰漫しているのが、駅前コインパーキングの“ぼったくり”です。地域や周辺の物価とは乖離した料金設定で100円単位で高騰する例が後を絶ちません。

気が付くと市場に溢れる“もう利用できない現象”

これはらは基本的には日本を代表する企業が中心に行われていることで、こうした大手企業の身勝手な価格操作が、“実質上の値上げ現象”とも相まって、日本経済の悪循環を招いている事実は看過できない水域まで来ています。(実質上の値上げ現象とは簡単に言えば軽自動車などです)

こうした“ぼったくり”や“実質上の値上げ”が繰り返される訳ですから、市場にはそうした商品が溢れかえり、消費者には“もう利用できない現象”が広がります。これは、例えばコインパーキングを例にとると、価格がある段階まであがってくるまで我慢するのですが、ある時点で、そもそも“これだけ高くなるのであれば、そもそも車を使ってパーキングを利用すること自体を止めよう”とする感覚で、これが現在の消費の慢性的減退に繋がっています。

企業としては一定数いる富裕層と増えているインバウンド需要で、まだまだいけると判断しますので、こうした現象は地方都市から顕著となってきます。だから地方に消滅集落が広がって行くのです。

消費者の対抗策が現在のトレンドとなって行く皮肉

ではこのような流れに消費者はどう対抗するのでしょうか。それは最近のトレンドをみれば一目瞭然でしょう。
例えば前出でいえば大手航空機会社にはLCC。アパレルにはユニクロ、GU、ZARAや進出時“ゴミの塊”と揶揄されたH&Mなどの流れ。スーパーには道の駅。車の価格やコインパーキングには車離れ。大阪市営地下鉄には“大阪都構想”まで、姿形を変え大きな反動がきていますが、大手企業の多くはどこ吹く風。自分達の体制は安定している。消費やコントロールできると高を括っている状態でしょう。

私が大手企業のこうした無神経が、このあと深刻な危機を招くと考えるのは、庶民の反応です。例えば阪神高速道路ではETC使用者なら数百円の区間を、現金車であれば1300円(2018年現在)とられます。それでなくても“いずれ無料に”などと言っていたはずの高速道路が、毎日の渋滞状況を全く緩和できない中で、ぼったくりに相応しい値上げを続けていても、例えばネット上で批判が爆発することが少ないような反応です。

なぜ消費者は声を上げないのか。もちろんネット上に書き込んでも、現状ではなんの効果もありません。既得権益者は政治や行政と組み、自分達に優位になるような仕組みを作っているのですから、消費者もそうしたことを知っていて、無力感があるのです。どうせ“現状”であれば、庶民が何を言っても、何をしても意見を汲み上げてもらえるような体制は日本にはないことを知っているのです。 しかしこの“現状”であればが問題です。

既得権益者への感情が爆発する時、新たな時代が始まる

このあといつか、何かの形で日本社会に対する負の感情が爆発する時期がきます。その時やり玉にあがるのが既得権益者や公務員などになるのでしょう。しかしその感情の爆発が形になり現状にぶつけられるようにならない限り、日本はいつまで経っても沈没し続けるでしょう。
その時こそ、新たな時代の始まりになると思います。21世紀の日本が歩むべき道が、その時から作られ始めるのでしょう。
それは公務員天国ではもちろんありません。また官僚主導型の東京一極集中国家でもなくなるでしょう。もし新しい時代が来たら、それより10年くらいは経たないと姿形は見えては来ませんが、明らかに国体や社会の空気は変わってくることを感じるでしょう。
しかしいずれにしても、それには長い道のりが必要となり、日本はこれから半世紀はイバラの道を歩むを余儀なくされて行くのだと思います。

 

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