国として、他国の恩義を忘れてはいけない。スリランカの元大統領ジャヤワルダネ氏について。

陽は昇る 私的日録
日々の移ろい・感受した
ことを書き連ねました

今年の夏の猛暑は過去には例がないと言います。奈良や京都に住んでいる人は、確かに暑いのはそうですが、まあ例年も暑いので…と言っているのはご愛敬。そんな京都で、この時期人手の減る日中にもさほど変わらず人々の訪れる場所が東山区にある京都霊山護国神社です。ここには近くに霊山歴史館もあり、幕末に因んだ展示が常にされていることもある人気のスポットです。

この神社の比較的分かり易い場所にあるのが、インド代表判事、ラダ・ビノード・パール博士の顕彰碑です。博士は第二次大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)で被告人全員の無罪を主張したことで知られていますが、そもそもは連合国側が派遣した判事の一人であり、現在では連合軍による国家リンチとすら呼ばれている東京裁判を「平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法である」として、東京裁判そのものを批判した気骨の人と言われています。しかし、それほど権威のある立場の判事なわけですから、気骨云々というより、単に職務に忠実であったのだと私は考えています。しかし、あの時代、あの立場の中で、皆が揃って叩き潰したいと考えていた日本を結果的であっても養護するかの発言をするというのは、やはり気骨、正義と言われれば、そうなのでしょう。私達日本人は彼の功績を知るべきであり、感謝すべき…つまり、恩を忘れる事、知らないことは、人として恥ずかしいことなのでしょう。

ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダネ氏と聞いても、日本人のほとんどは初耳だと思いますが、彼もパール判事と並んで、日本人が恩を忘れてはならない(その前に、知らなければならないのでしょうが)ひとりです。スリランカの第2代大統領で、英国統治下のセイロンで頭角を現し、独立後は内閣で要職を務め、議院内閣制下の1977年から1978年まで首相を、大統領制移行後は1978年から1989年にかけ大統領を務めた方です。

1951年のサンフランシスコ講和会議の席上、日本の独立を指示するアメリカ諸国に対して、あくまで引き延ばしを図ろうとしていたソ連や中国などの反対勢力に対してブッダの言葉を引用して「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るものである」と演説しました。「その演説は会場の空気を一変させた…」。当時の外信はそう書き残しています。

1985年のテヘラン。イラン・イラク戦争時に取り残された200人以上の邦人救出に、命懸けで航空機でかけつけてくれたのはトルコ共和国でした。彼らはそれより100年前に和歌山沖で遭難したエルトゥールル号を救助してくれた恩義を忘れずにいてくれていたのですが、連絡を受けた当時の外務省でも”なぜ、トルコ政府がそこまでしてくれるか、全く分からなかった”そうです。このような恩義を忘れない謙虚な気持ちを、私達も忘れないようにしたいものです。

先月、群馬県の利根郡のみなかみ町で、ジャヤワルデネ氏に感謝の意を伝える催しが開かれ、後世に語り継ぐ記念館を作りたいという催事がありました。時代がそのようになったのか、強い意志を持って活動してくれた方々がおられたのか、おそらくその両方でしょうが、またひとつ、戦後の日本人の忘れ物が見つかったような気がします。

 

 

  • B!