陽は昇る 私的日録
日々の移ろい・感受した
ことを書き連ねました
猛暑の中、高校野球選手権大会は100回を迎えて、連日元高校球児だったプロ野球選手のOBが始球式をしたり、思い出の名場面などを盛んに流したりして猛暑の中、盛り上がりを見せています。そこでですが、このブログでは多少冗談で。半分以上真剣にこの夏の聖なる祭典についての都市伝説を紹介しましょう。決してマジに受け取らないで…でもちょっとは真面目に考えてみてください。
①次に来るのは、反高校野球選手権キャンペーン
お気づきですか?日大アメラグ部、アマチュアボクシング業界などの信じられない不祥事が続いていますが、今静かに進んでいるのは”反高校野球キャンペーン”です。この夏の猛暑の中、高校球児や応援団が次々と熱中症で倒れても、主催の朝日新聞社は全く無視して”高校野球=素晴らしい青春”の図式作りに予断がありません。しかしこの100回大会が終わると、高校野球選手権大会に対して、果たしてこのままで良いのかという意識の改革を主導するような、一種の「反高校野球選手権大会キャンペーン」が加速するのではという都市伝説が聞かれます。
先日、過去に於いて熱中症で亡くなった高校生の数の記事が新聞紙面に登場しましたが、その25%が野球部だという記事が一部紙面に踊りました。そもそも高校の競技人口の比較が考慮されていないので、球児自体が多いので、この高いシェアは当然と言えば当然なのですが、それは無視されていて、要するにこれは高校野球に対して「このままで良いと思いますか」という、ネガティブな印象を付ける為のアプローチなのです。それを象徴してか、最近は、これまで聞かれない論調も聞かれます。 「高校野球の構図は、旧日本陸軍の仕組みである」 「これまで多くの球児が、誤った指導者の暴行的な練習(訓練)で選手生命を絶たれている」 「高校球児の不祥事のほとんどがもみ消されている」などで、元PL学園の投手だった桑田真澄の提唱する”投球数制限”なども紹介されて、運営方法とそもそもの組織などの両面からの情報圧力がじわじわ増えています。
この流れで言うと100回大会が終わると、年々ファンの数が減ってきている高校野球の制度改革について真剣に論議が始まる事になるでしょう。挙句は5年以内に、大きな組織改革に繋がってゆくでしょう。
②あと5年で高校野球選手権大会は春夏開催から9月開催1回になり、甲子園での試合は限定的になる
この変化には高校野球の人気の減少があげられますが、同時に主催者の台所事情も強く影響しています。ご存知のように春は毎日新聞、夏は朝日新聞ですが、この2社は度重なる偏向報道の為に信頼も発行部数も落ちています。日本の新聞社はそれこそ既得権益で多岐に及ぶ様々な税的特別待遇を受けていますので、ある程度持ちこたえるでしょうが、それでも2020年を過ぎて、日本全体が停滞社会となってしまえば、とてもこれまでの状態を維持管理することは不可能というものです。
そもそも春の大会なども半年前の新チーム結成直後の大会の結果で判断する訳ですから、成長著しい高校野球の中で、どれほど力の証明になるのかという懸念は常にありますし、夏の大会は言わずと知れた猛暑の中で、多くの高校生の貴重な時間を強制的に巻き込んでいて、これも時代には合わないことです。また年2回、甲子園バブルが起こり、関係者の莫大な寄付金が舞飛ぶわけですから、他の競技団体からも、なぜ高校野球だけ…というやっかみも起こるというものです。5年もして高校野球の組織改正が起これば、同時にどちらかの新聞社が開催に値を上げることになり、年1回開催となり、毎日・朝日共通開催になるのですが、2020年のオリンピックでその猛暑中の開催の安全性に疑問が呈され、9月開催への変更にもなってきます。
この時期に、そんな長く学校を休めるのかという声が聞こえてきますが、他のスポーツはそれでやっています。10年後には全国を8つの地域に分けて、8月に”8エリア高校野球選手権大会”が各地域主導で執り行われ、勝ち抜いた8チームが甲子園か京セラドームに集い熱戦を繰り広げる形式に代わるのです。
③京阪神の既得権益者と東京一極集中を完成させたい中央官僚との綱引きが活発化する?
言わずと知れた高校野球は同時に大会開催の度に膨大な富を特定の関係者にもたらします。大会が100回、春夏併せて200回近くなると、その金額や社会的システムも既得権益者を作ることになります。彼らは自分の利益を減らしたくはありませんので、徹底的なプロパガンダをおこないます。なにがあっても高校野球批判などあり得ないレベルの強大な既得権益です。
今後、組織的な崩壊が始まり、主催者としての力が劣ってきた新聞社などに現実的な権威も権力もなくなった時に、主催者側と既得権益者の持つ力が逆転するという、いつもの構図となり、混乱が加速され、畢竟、高校野球改革が加速されて行くのです。
それを半分にやけながら見ている人々が中央官僚です。彼らは常に「東京一極集中社会を作ってきたのに、年2回、兵庫県の小さな地域に甲子園球場があるというだけで巨大なイベントが行われていることを苦々しく思って来たのですから、大きなチャンス到来です。今後、様々なネガティブな情報が洩れて来ると共に、番組編成権を持つ在京のテレビ局とマッチさせ、せめて兵庫県ではなく、大阪での開催、或いは甲子園球場の規模の縮小を画策しだします。そこで既得権益者と中央官僚の綱引きが始まるのですが、答えは見えています。
まあ荒唐無稽な与太話ですので、笑って読んでいただければよいのですが、おそらくこのうちの半分は現実とはなるでしょう。現実に目覚めることは、これまでの社会システムでは難しいことでしたが、現代のウェブ社会では、むしろ真実を知ることができないことのほうが希な例になるでしょう。そんな大人の事情とは関係なく、全国のレベルがあがってきている高校生の野球は、それが甲子園であってもなくても、変な扇動的な番組を続けさまに流さなくても充分なレベルに昇華しているような気がします。もう甲子園を神格化する必要もないと考える向きもあるでしょう。すでに甲子園球場である必要すら希薄化している中で、さてどうなるでしょう。あなたはどう考えますか?