毎年、お盆や年末の帰省ラッシュが終わってから急に増えだすのが“離檀”に関するご相談です。
“離檀”とは、基本的には都心部などに居住している人が、遠い田舎にあるお墓を近くに移すことを言います。一言で移すと言っても、日本には檀家制度があって、特に先祖代々の墓などと言うのは、そう簡単に動かすことができません。しかし、高齢化に伴い帰省ラッシュの労力などを考えると、とても毎年のようには墓参りなどはできないというのが主な理由ですから、分からないではありません。しかし実際に“檀家”を進めると、多くの壁に当たることも確かです。ここでは“離檀”についてお話ししたいと思います。
戦後日本が構造的に抱えることになった“離檀問題”
戦前の日本は“血縁社会”、或いは“地縁社会”。つまり、居住地域に血縁関係の深い人々と住むか、農地など第一次産業を中心の集落に住むかで成り立っていました。戦後、都市部の復興を果たす為に、その仕組みを国は大きく変えた為、地方の農村などの次男坊、三男坊などが都市部に働きに出て、戻らないようにするための様々な方策がとられました。最も顕著なのは“職縁社会”に繋がる方針です。都市部は楽しくて地方にあるような地域の柵など感じられないので、多くの人々は都市部へ出て、そこで骨を埋める選択をしました。
しかし、近代になって、政府或いは官僚の政策として、東京一極集中型の社会体制が築かれ、都市部ではなく“東京”に、社会機能を集中させる方針をとりました。最初、田舎に近い都市部に移り住んだ人々は、収入や社会的地位が上がるほど、東京に移り住まなければならない社会となった訳です。今でも、そうした人達は、自らを“東京人”と考え、そこで天寿を全うすることを考えています。一度、楽しく裕福な環境に身を置くと、そこからは抜け出る事はできません。
それは日本の盆暮れの風物詩ともいうべき“高速道路の数十キロの渋滞”現象でした。渋滞の度合いもありますが、実家まで6~10時間くらいの渋滞の中の移動を強いられるのは止むを得ない代償だったかも知れません。
しかしそれも疲れ切ってしまう年齢になるにつれ、“近くにお墓を”という考えが出る事は、むしろ健全ではないかとも思えます。
簡単ではない。墓を移すと言う事
そこで、菩提寺から墓を移すことが考えられます。しかし日本の法律では、ことはそう簡単ではありません。まず手続きから言うと、お墓とは檀家がお寺から借りている前提ですから租借契約を解約する必要がありますし、またお墓の遺体は軽々に処理することはできません。書類上でも改葬許可申請書を提出する必要がありますので、お寺側にも許可印を貰ったり、埋蔵証明書を発行して貰わねばなりません。
それでも、手続きが必要であれば誰もがその手間は惜しまないのですが、昨今の離檀騒動では、一部のお寺側の問題が左右していると見る向きも否めません、それは“離檀料”なるものです。もともとこのような項目は社寺には存在せず、単純にお布施くらいの感覚であったのが、一部の寺院で数百万~の請求を強制されたなどの事例がでるにつけて、こんな費用は法的に有効であるのかなどの観点から問い合わせが増える現象に繋がっているのかも知れません。
“離檀料” 高額請求はともかく、20~30万は妥当か
「離檀しようとしたら、お寺側から800万円を半ば強制的に請求された」などの話が巷には流れています。それでなくてもお寺さんとのお付き合いは高くつくものです。しかし昔は地域の檀家寺は地域で支えるのが普通でしたし、まして自分のご先祖様に自分に代わって手を合わせてくれているものですから、ちょっとまとまったお布施が必要になるのは当然かもしれませんが、数百万円が必要かとなれば、ちょっと違う気もします。幸か不幸か、私達が扱った中には、これほど高額な請求はありませんでしたが、“離檀料”として暗に200万くらいはと言われたなどの例は見られましたし、直接は関係していませんが、離檀するなら1200万払えと毒づいて喧嘩になったケースも聞きました。
結論から言えば、お寺さんが設定する“離檀料”については、こちらには払う義務はありません。明らかに法外な請求です。しかしそんな主張がし難い関係であるのもまた、事実です。だから最近は司法書士などがこの問題の対処を手伝うことも増えているようです。ただ、離檀の問題を、司法書士などに依頼することについては注意が必要です。それは依頼された側の目的はあくまでも“離檀料を払わずに事を進める”ところにあるからです。そのことで収入を得るのですから尚更厳しい交渉になってしまいます。結局はお寺側に感情的なしこりが残る結果となる可能性が高くなります。
このようなやり方は多くの場合“喧嘩別れ”的な後味を残します。確かに今あるお寺を引き払い、新しいところに移るのであれば、前のお寺など気にしなくてもいいと考えやすいのですが、そこには落とし穴もあります。例えばお寺には宗派がありますから、例えば浄土真宗なら、基本同じ宗派のお寺に移ることになるでしょう。檀家としての最低限の礼儀も果たさないとなれば、新しいところも受け入れ難くなるでしょう。しかもお寺と言うのは自分で終わるものではありません。子や孫に繋いで行くと考えるならば、あまり極端なことをするのは良いとは言えません。
また、梯子が外されることもあります。実際のご相談ですが、若い頃、企業戦士として東京に赴任して、家庭を持ち、定年間際まで勤めた役付きの方が、お墓を移したいとのご相談を持ち込まれました。彼としては定年後の生活を熟慮してのことだったのでしょうが、私は定年を迎えるまでは、あまりお勧めしない旨の御答えをしました。それは昨今の企業の状況や、官僚の政策の動きを見ての事でしたが、案の定、その方は定年を数年残して、生まれ故郷の県に赴任の人事異動を受けました。高齢者の社会保障費の負担に耐え切れない東京都は今後、様々なやり方で、特に高齢者を地方に送り返す制度を作るようになると判断できます。それはまず大企業からです。その方はまさにその走りだったかも知れません。
その方は家族共々故郷に移り住む形となりましたので、お墓を移さなくてよい状況となり、感謝されることになりましたが、これからこのような例も増えることになるでしょう。
御先祖様と檀家寺に対する感謝の気持ちを忘れないように
このようなことが言われます。“人は有利な事を、好きな事だと勘違いするものだ”。若い頃、東京に赴任することが、生活的にも、社内的にも大変有利であった時代がありました。今もそうかも知れません。ほとんどの方は、そうした“自分にとって有利”であることを“自分がその生活が好きだ”と信じてしまうのです。当然その“有利さ”が無くなった時、本当の自分の好みが見えてきます。先の方も、ある意味社内の出世競争から干されて、自分の故郷が好きだったことに気付いたと言います。彼の場合、墓を移さなくて良かったのでしょう。
お寺と檀家は敵対するものでは当然ありません。しかし檀家側に認識不足な点があるのであれば、事は順調には行きません。戦後は家に関することに注意を払うことが少なくなってきていますが、こうした問題を見るにつけて、“お買い物”と“宗教”とを混在しないように気をつける注意も必要だと思います。