“道の駅”は、地方再生の切り札? そうはならない不都合な事実

「道の駅」の背景と構図

全国の地方に行くと必ずと言って良いほど見かけるものに、”巨大”な役所と道の駅があります。これらは道路標識からしても既に立派なものが多い点でも共通しています。道の駅などは、どこでもよく似ていて、地域の農産物、特産物などを販売していて、週末などは結構な集客があるようですが、そもそも巨大なスペースを埋めるほどのものがないのでしょうか、駅前の売店に揃っているような土産物や、だだっ広い休憩エリアなどがありますし、キャッチボールのできそうなトイレも完備されているところも少なくないでしょう。地方再生の切り札の期待もあって、その数は留まるところを知らず、数年前に1000ヵ所を越えてからは、その件数も加速的に広がり、中には車で走れば10分の距離に道の駅が競合しているところもあるのですが、今後も益々増える傾向にあります。しかし多くの利用者は、道の駅がどのような仕組みで造られているかについては関心はなく、中には郊外型スーパー銭湯よろしく、民間企業の運営だと思っている人も少なくないと聞きます。
 この“道の駅”は、基本的には国土交通省の地方整備局が管理しています音頭をとって、運営は地方自治体や第三セクターが様々な形で運営する、れっきとした公共事業です。感の良い方はピンと来られたかも知れませんが、“国土交通省”、“地方自治体”、“第三セクター”、“公共工事”と来ると、税金の大量投入→天下り官僚→事実上の経営破綻→税金による赤字補填→それでも破綻→只同然で民間に払い下げ…と言う例が多いですね。

 これが民間運営であれば、早期に経営破綻しますから、地域に与えるダメージは基本的には無いのですが、こと“道の駅”については、地域住民の生活に深刻な影響を与える“不都合な真実”が、たくさんあります。そして、1000を越える“道の駅”のほとんどが、地域のお荷物となって行く可能性が極めて高い、と言う事になったとしたら、他人事では済みません。(写真は益子と大仁田にできた道の駅です)

「公共事業であるという事実」

そもそも、“道の駅”は公共事業ですから用地や建物、運営機材等は経営上ゼロカウントというあり得ないところからスタートしています。従って国道に面した郊外型の一等地に莫大な規模の施設が現れます。用地を貸す方にしても相手は国です。費用にしてもかなり優遇された価格が提示されますし、採りはぐれがないので安心して貸せます。なによりここに農産物などを持ち込む農家やお店にしても、普通なら手の出せない額の出店料が基本ゼロですし、責任も軽いので楽に収益に繋げられます。また、いくら地方再生を盾に、地域の農産物を販売するとしても、そもそも流通の素人が旗を振っているのですから、1000ヵ所ともなると同質化は避けられません。いずれ“品揃え”の為に同じような商品が並び始めて、飽きられてくるのです。
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