何も知る事のできないメディア報道。報道倫理は過去のメルヘンか。

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陽は昇る 私的日録
日々の移ろい・感受した
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新聞やテレビなどの報道のことを私たちは総称してメディアといいますが、普通これを使うときは、社会に起こった真実、事実を知らせてくれる媒体であることを意味します。しかし、今、日本のメディアはあれだけ長時間、報道番組を持っているにも関わらず、見ていても何も分からないと感じたことはありませんか。

例えば今回の西日本の歴史的な大豪雨。報道は特番を組んで朝晩長時間報道していましたし、新聞も1面、社会面を通じて大々的に報じていました。しかしそのほとんどが見るものに”わあ、凄いことになってる”とか”なんてかわいそう”で終わってしまうことばかりに終始しています。

私は倉敷市の美観地区近くに友人がいますが、今回の報道では洪水に見舞われたのは「岡山県倉敷市」とでるのはいいのですが、倉敷市と言っても北から南まで広い。事実、水没しているのは同じ倉敷市でも北部のエリアです。同じことは北区でも言えます。新幹線の岡山駅は北区ですから、これは大変なことに…と思っていましたが、これも北区の山間部に被害が集中しています。いくら新聞やテレビで見ても分からないのでネットを見ると情報は遅れがち。最後はツイッターをみると、どこのどのあたりがどんな具合かある程度、分かるくらいです。中国地方のあの広いエリアの中の、どこが水没していて”どこが現状で安全”でなのかを知る方法はなかなかありませんでしたが、あれだけ時間をかけて報道するなら、視聴者のためにも、物見遊山の報道だけではなく、少なくても現状で被害が発生している地域と、無事な地域くらいは報道すべきではないかと思います。

何か事件や事故があるとすぐ一杯になるのが”被害者のひととなり”報道。「Aさんは近所でも明るくて近所でも評判で、将来は外国留学を目指していました」など、同情を唆るものが多く、学校のアルバムや運動会のビデオから映像を拾ってきては、大々的に流しますが、これって遺族の了承をとってのことでしょうか?それに被害者は昨日に撮られた動画がながされるのに、犯人になると40歳で逮捕されても出る写真は中学校の卒業アルバムとなっては、何のための写真掲載?となって、もう事実を報道するというより、コントを見ているような気がします。

最近は警察まで同様で、逮捕された容疑者の写真どころか名前や住所すら未発表と言うケースが少なくありませんが、これはまた報道とは問題が違いますので他に譲りますが、真実を国民に知らせないという点では同工異曲でしょう。

新幹線で白昼堂々、無差別殺人があっても、それはその時だけ。あれだけ独占利益を稼ぎながら、車中の殺人事件を事前に防止するための鉄道警察官の全車両義務付けなどは話題にもなりません。福島の第一原発のメルトダウンにしても、韓国の原発重水流出事故にしても、私たちはメディアから知る事はできません。しかし、2年近くに亘ってありもしなかった「安倍首相のお友達云々…」などという虚構は、連日のようにまことしやかに報道されます。

もしかしたら、メディアとは真実を知る事のできない媒体で、そこには虚構しか存在しないもの…。にはなってもらいたくはありません。かつてアメリカの「60ミニッツ」では情報提供者に100%の信頼を提供できないとして、ディレクターが番組が降りたことがありますが、これなどは20世紀のメルヘンに過ぎないのでしょうか。

 

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