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反日の巣窟?文部科学省という闇組織
アサヒ芸能という雑誌は徳間書店が刊行していて、任侠やスキャンダルなど裏の情報を娯楽として提供しているのだが、先日ここに「文部科学省教科書調査官の主任のX氏が北朝鮮のスパイである」という記事が掲載された。しかしそこには荒唐無稽なスキャンダル記事というより、極めて事実に基づいたと考えられるようなスパイの経歴が語られていて、それを辿ると元教科書調査官”主任”だった”中前吾郎”なる人物以外には該当者がいないことが判明した。これについては、昨日緊急の会見が行われ、メディアなどではまったくスルーされているようだが、この人物の異様さや、このような人物を主任に据えた文科省の闇については、Youtubeなどで正確な情報が発信されている。日本にとって極めて重要なことなので、次の動画などで確認いただきたい。
文部科学省がこの重要な事態に、どの程度真面目に対応するかは今後の動向次第だが、この記事の主旨は”文部科学省”なる闇組織の存在だ。もちろん筆者は文部科学省が悪事を目的とした結社であると言うつもりはない。むしろ、日本の教育制度のために、様々な仕組みを検討し、努力し続けていることは間違いないだろう。私が問題だと思うのは「彼らにその資格、資質があるのか」という点や「日本の教育制度を”どこの国の利益のために”努力しているのか」という点である。
水戸黄門と中央官僚と賞味期限切れ
日本人は”水戸黄門”が大好きだ。さすがに今の若者はそうでもないようだが、特に年配になるほど無条件に楽しんでいる。たかがテレビドラマと言うなかれ、中国の反日ドラマや北朝鮮の国営放送を見ればわかるように、一般庶民はこうした娯楽番組からの”刷り込み”を信じてしまうものだ。
この時代劇の奇異さは、現代に置き換えれば容易に判断できる。天下の副将軍水戸黄門は当時幕府が、参勤交代の義務を免除するなど他の大名とは違う、特別扱いをしていたことから名づけられた俗称だ。いまで言うと、時の内閣が特定の議員や団体を特別扱いしているようなもので、その特定の議員、団体が、何の権利もないのに、日本全国を廻り、各都道府県の首長の悪事を正式な手順を踏むことなく、時には成敗と言う名の処刑までして回ることだ。ここで見られるのは中央官僚(幕府)が決めることは、それが法的整合性などなくても絶対的な信頼に値するという”お上絶対主義”と、地方というのは”放っておくと悪事しかしないような為政者と愚かな庶民”で構成されているのだから、中央の官僚がすべてを管理、処分してやらねばならない愚民の集まる場所であるという発想で、そこには中央官僚が不正を行なったり、能力がないかも知れないなどという発想は欠片もない。
しかしどのような組織も、必然性や存在意義があり、それが永劫持続されることはない。組織と言うのは、それが必要とされる問題点への対応能力を満たす形で創られるが、やがてその能力が枯渇したり、不要となっても組織が残ることで崩壊するものだ。だからこそ、歴史をみても組織と言うものに絶対的なものがないのである。
不祥事や不正を繰り返す高級官僚と、学校教育を破壊し続ける制度改悪。文部科学省は不要か
私は以前から、現在の日本の中央官僚組織の中に、文部科学省(文部省)と国土交通省は不要だと考えてきた。つまり、これらは極めて地域性の高い分野であるから、地方が予算を確保して取り組むべきであるからだ。例えば現在、日本の学校施設は南側に校庭があることが決められているが、これは北海道も沖縄も同じ(甚だしい例外は削除)であったり、災害で既存の道路が破壊された場合も、近々、あらたに架け替える予定があっても、日本全国”元に戻さ”なければならないなどはそれだが、これが子どもの教育に関わる文科省であればもっと深刻な影響がある。地域性、歴史や文化、気候や経済状況などに関係なく、現場を知らない限られた官僚たちが考えることを、日本全国の子供たちはそれに則した共通した教育をしなければならないということだ。これがどれほど奇異な現象かは、少し危機感を持つ人であれば容易に理解できるだろう。
すでに歴史的に役割を終えたにも関わらず、文部省だけでは成り立たなくなったこの組織は”科学分野”を巻き込むことで、文部科学省として組織を温存したが当然、そこに国民に対する奉仕の精神は希薄化され、組織の中の評価だけを異常に気にする集団化することになる。だから巨大組織は頭から腐るというが、文部科学省は、教育に対する貢献というより、官僚の不祥事によって彩られている。例えば「佐野太」と言う名前など、もう誰も覚えてはいないだろうが、2年ほど前に発覚した東京医科大の裏口入学に加担した文部科学省、科学技術・学術政策局長である。当時(今でもそうだが)東京医科大は難易度の高い大学だから佐野局長レベルが口を利くのだが、程度の低い医科大であれば、様々な現場で、様々な役人がこの役をしているはずだと言われたものだ。
不祥事があっても”喉元過ぎれば”的対応の文科省と、不祥事を庇い事実関係を隠蔽するメディア
組織がそうなのだから、同様の不祥事は続くもので、この後でも宇宙航空研究開発機構の国際統括宮川端和明理事も追って収賄容疑で逮捕されたが、その際、判明したのは文科省だけでなく、6省庁31人が同様の接待を受けたが懲戒で終わる。それでも罪を反省すれば良いのであるが、そこは水戸黄門効果(?)だろうか、官僚であれば優秀だと信じている国民性を悪用する向きもでてくる。
今回の文部科学省の主任教科書調査官の中前吾郎なる人物は、教科書問題でも反日を貫いているようだが、その先輩格として異例の存在となっているのが前川喜平だろう。彼が文部科学大臣官房審議官の時に、時の民主党政権の意向を受けて朝鮮学校の無償化の実現の原動力となり、国民の大ブーイングを受けて、政権交代後、下村文部科学相がこれを撤回するよう指示しても動かなかったばかりか、朝鮮日報に勝手にお詫びの文章を掲載したり、その後も一環して反日を繰り返している。そんな彼が有名になったのは、騒ぎの中で警視庁が管理売春の立件を前提に内定を行っていた出会い系バーに、前川が頻繁に出入りしていたことで、売春の証拠を突き付けられながら「調査のため」とか「若者の貧困の状況の聞き取り」などという、おおよそ一般市民ではとり合わない言い訳を繰り返したときであった。彼は最終的に辞職したが、退職金5600万円はしっかり懐に入れた。
こんな人物だからなのだろうか、文部科学省では大臣官房総括審議官、大臣官房長、文部科学審議官、事務次官や初等中等教育局長を歴任しているが、菅官房長官は「責任者として自ら辞める意向をまったく示さず、地位に恋々としがみついていた。その後、天下り問題に対する世論の厳しい批判にさらされ、最終的に辞任した」と表している。
その前川だが、いまでは彼がそのような人物であったことは、中々知ることが難しい。それは、そんな前川を日本のメディアが拾い、安倍内閣と闘う闘士役を与えたからだ。ネット上では、まるで信念を貫くインテリのイメージの世論操作が行われているが、これが文部科学省の官僚の成功例ということになってほしくはない。
国民は文部科学省に対する再認識が必要。それが日本の再生に繋がるから
話が遠回りになったが、最初に紹介した文部科学省の主任教科書調査官の中前吾郎なる人物については、ことが北朝鮮のスパイと一般雑誌社が報道したのであるから、本人は公の場で釈明しなければならない。もちろん文科省も中前当人だけでなく、他の職員についても、徹底的に調査し、発表すべきであろう。そんなことができるのであればだが。特に教科書問題では、これまで「どこの国の教科書を作っているのか」という点が再三指摘されてきたが、そんな国民の声などどこ吹く風とスルーを決め込んできたのだから、問題の確信は芯まで、つまり幹部にまで波及していることは容易に想像できる。日本は周辺の反日国の思惑通り、”中から腐っている”のかも知れない。
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しかしこれらの根本的責任は当然、日本の国民にある。日本は議会制民主主義国であるから、国民は選挙で自分の意志を反映させることができる。しかしそれが正しい意志であるかは、国民個々が勉強する必要がある。これまでは、日本ではメディがみな左寄りであって、判断のしようがなかったと言い訳もできたが、ネット環境がここまで変化し、また左翼一色ではなくなった現代ではそれは通用しなくなっている。どの年代でも同じだが、自国の未来を育むことは、その国の国民にのみ許されたものである。しかし、特にそれが富める国であれば、それを守らねばならないことでもある。今を生きることは、そのことを追求することでもある。
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