法律作って魂入れず
日本は戦後、東京一極集中体制を国体としてきましたので、政策が進むほど、過疎地対策は車の両輪的な位置づけで膨らんできました。そこに与野党それぞれの票田としての位置づけや一次産業の代表団体関係の既得権益化がともない、なんとなくバランスがとれてきたと言うのが20世紀後半の現状です。
ところが、冷戦崩壊後、風向きが変わって過疎地に対する法律も中身を弄らざるを得ない状況となり、また票田や既得権益なども維持し難い状況となってきたうえに、超がつくほど本格的な“過疎”という流れが、まるで東北地震の巨大津波のような威力で日本全土に押し寄せてきていて、国を亡ぼすといっても過言ではない状況となっています。ここに来ても政治や官僚、メディアは呑気なもので、この半年ほどはやれ籠池だ、加計だ、不倫だとゴシップ誌並みのレベルで占められているのですからお話にもなりません。
また、行政としても様々な対策を打ち出してはいて、過疎対策事業債などは使い方によっては効果がありそうな気がするのですが、これも過疎地域自立促進特別措置法6条に基づいた過疎地域自立促進市町村計画に基づいた公共施設とか情報通信基盤等整備事業を対象にすると言う前提となっていて、これでは地域の知恵や効果などを無視した、官僚利権を最優先した、まさに岩盤規制ではないかと考えられます。
その後、ソフト事業でもいいですよ、という事になったり、バイオマスや太陽光もOKですとか、少しずつ時流に合わせて“解禁”をちらつかせていますが、対費用効果についてはまったくお話にはならないでしょう。
ここに来て、農業で言うと兵庫県養父町で特区扱いで“テスト”しているようですが、なぜ“テスト”なのか。なぜ広い日本で一か所なのか。また、そもそも、その効果の検証項目自体も限定的過ぎないのか。など“そもそも疑問”がいっぱいで、これでは“やってみたけど、やはり難しいよね”的な答え有りきではないかとすら思ってしまいます。所詮、官僚が霞が関のデスクの上で考えた範囲でしか対処できない過疎地対策であれば、これまでの例を見ても、その先がどうなるかは明白です。
官僚の常識が国を滅ぼす
今増えている“道の駅”など良い例で、これなどは一時的に良く見えるかも知れませんが、この先、ほとんどの施設はその地域の“赤字事業”として、地域にダメージを与えることになるでしょう。結果として“やっぱり農協の流れを作っていると邪推してしまいます。
想像してみて下さい。例えばIRだとか特区を、過疎指定地域では解禁すればどうでしょう。かつて国は地方文化にそぐわないモールを地方にどんどん作らせて、現在の超過疎化を助長しましたが、これだとそんな結果にはならないでしょう。また、学費無料大学の設置とか、外国の高度研究機関誘致、事業税率ゼロ地域など、やる気があればいくらでも可能ではないでしょうか。そう言うとすぐ“財源はどこにある”という指摘が来るでしょうが、そもそも過疎地です。また、今ある資産から財源を引っ張り出さなくても、将来的に財源を作るモデルがあっても一向に構わないでしょう。要は現状では“座して死を待つ”状況なのです。
もう、関係者間で補助金や助成金を回すような時期は終わってます。日本は今、確実に地方から死にかけれいます。一刻も早く真剣にこの問題に対応する社会に目覚めることを期待します。