私達が捨てるべき”規範”と、再構築すべき”新しいパラダイム”とは

日本はどのような“国体”を持った国なのかと言う質問を受けることがよくあります。学生や、ぎりぎり若手サラリーマンくらいの世代であれば、そうした疑問を持つこともまだ許されるかも知れませんが、50歳以上の影響力のある世代の方からの御質問であれば、どのような意図を持っておられるのか逆に警戒してしまいます。ただよくよくお伺いすると止むを得ない事情があるように思えます。こうした世代の方の多くは、これまで純粋な民主主義国家で健全な自由経済下の競争社会のもと、優秀な官僚の適切な指導を受け乍ら発展してきたと考えてきたのが、ある日突如、それは違うとはたと気づくのですが、では具体的に何が違うかと言うと理解できないという過程を経ているようです。

私達はどのような”国の形”を持った国民か

戦後の高度経済成長期に社会に出られたこれらの方々は、まだ社会を知らない間にある程度成功したかに見えるパラダイムを経験します。この場合は先にお話ししたようなものですね。だから社会の規範を乱すような“改革論”は生理的に受け付けません。且つて小泉純一郎氏が首相候補となって“自民党をぶっ壊す”としたときに、定年世代の公務員だけでなく同世代の方の特に保守的な考えの方が違和感を口にされていたのを思い出します。そういう“風”をずっと感じてきていて、それが安定した生活に直結していたのですから、それが長いスパンで見たとき、或いは世界的な潮流と比べてみたとき、異様な態をしているかなど感じることはなかったのは当然かも知れません。

世界の社会体制の3つのパターンとは

日本の社会体制とはどのようなものだと理解すれば分かり易いのでしょうか。通常世界の社会体制は大別して3つのパターンがあると言われています。ひとつはローカル・ルールが適用されるような“地場格闘技型社会”です。いくら既存のルールがあり精進しても、時と場によってルールが変わってしまうような社会です。こんな例は世界的にも嫌と言うほど存在します。これは共産主義国や独裁国家などもそうなのですが、厳密に言うと民主主義国家でも先進国でも普通にあります。例えばオリンピックやノーベル賞やその他、国際会議などがそれにあたります。実は日本人はこのルールは大嫌いなのです。だからそんな環境に陥ると“官僚による規制”を強く求めだします。

日本人の好きな”各界”的社会

では日本人は、どのような社会体制が好きかと言えば、よく言われますが、それは“各界”的社会です。“各界”とは相撲の世界です。相撲の世界の競争は極めて厳しく、激しいものです。ですがこの世界に身を投じれば普通は“部屋”に所属して、そこの釜の飯を食い、寝食を共にした仲間と独特なルールと“稽古”を受け、絶対に反語は許されない社会の中で高いレベルの各界教育と各界指導を受け入れます。その代償は“ちから”と“名誉”と“将来の安泰”などになります。だから力士になった日には、そのルールが正しいか否かなど考えることなく、稽古に邁進します。


人は“有利である”ことを“好きだ”と感じる性癖があります。先の年長者の方も同様で、官僚の轢いた厳しい規制と所属すれば受けれる大きな恩恵の中で、その体制を好み、疑うことなく最近まできたのでしょう。しかしさまざまなシガラミから解放されて見直したところ、或いは社会責任がなくなって純粋な立場での感覚で、なにか違うと感じたのだとすれば、それは自然な成り行きというものです。

しかし今日本は、且つての“各界”的な社会では存続が不可能になってきました。第二次世界大戦後、日本に反映を齎したかに思えてきた、自分の好きな社会体制が、実は敗戦後のゼロ社会から抜け出す為に官僚が考えた“特殊な社会体制”であったとしたら、これからの日本が受け入れなくてはならないパラダイムとは何なのかという課題に突き当たります。これはすでに1990年には社会全体が考慮しなければならなかった重要課題でありましたが、次々に代わる政権与党党首ではそれに着手することは不可能でした。

 

今後日本社会がとるべきパラダイムとは

では今後日本が受け入れなくてはならない社会規範とはどのようなものでしょうか。それは“サーカス型”の真の自由競争社会になるでしょう。日本ではサーカスと言っても、ごく僅かしか存在しませんし、社会的にも認められているとは言い難い厳しい仕事です。誰の保護も受けない中で自らの高い能力を磨き上げることに全力を尽くさねばなりません。彼らの価値を決めるのはズバリ、入場券を買ってきてくれる聴衆の満足、支持以外のなにものもありません。そこには官僚や既得権益者はありません。聴衆の満足を満たす為の精進だけが全ての社会です。しかし多くの日本人は、このパラダイムを中々理解できません。それこそが太平洋戦争後の日本社会のパラダイムから抜け出せず、21世紀に破滅の道を歩んでいる国家の大きな問題だと言えます。

“各界”型の社会体制にいつまでもしがみ付いていても、畢竟到達するのはパラダイムの崩壊以外のなにものでもありません。その事実にいつまでも目を背けている今の日本のパラダイムこそ唾棄すべき悪しき社会体制である。そのことに早々に気付くことから始まります。10月22日には衆議院選挙があります。“だれがやっても政治は同じ”ではありません。正しく政治家を選ぶことは、国益に直結する。そのことを忘れてはいけません。

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