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観光公害?京都などの観光都市のオーバーツーリズム(観光過剰)に対策はあるか
2003年に当時の小泉内閣が“観光立国”を宣言してから15年ほどで3,000万人を越え、観光客数で今年はトップ10入りを果たすのではと期待が持たれています。その期待とは、国通しの友好であったり、文化交流もありますが、なんといっても観光客が落としてくれるお金であるのは言うまでもありません。東京、大阪、京都などのそもそもの観光都市も、インバウンドマネーのお蔭でいわゆる“特需景気”を迎えていて、これらの都市では、何処へ行っても、何時行っても外国からの観光客で溢れています。
各地で問われる“観光公害”“オーバーツーリズム”と言う前に
「外国人観光客は特に簡易宿所や民泊などで、ゴミ出しのルールを守らないし、深夜早朝に騒音を出すなどマナーの悪さが問題。私たちが守ってきた古都の暮らしを、どうしたら健全に持続できるか行政の協力など日本の国上げての取り組みを考えていただきたい」。京都で老舗の飲食店を営まれている地域の重鎮の方はそう言います。(因みにここで言う“京都の人”というのは“洛中”で生活される方や、生業を持たれる方を指します)
彼だけでなく洛中で聞かれるのは“観光公害”や“オーバーツーリズム”の悪影響で、このままでは、かつての古都としての面影は取り戻せなくなると言われます。最近では廉価な民泊や簡易宿泊所も乱立し、過剰投資や不動産物件の取り合いなどで地価も高騰して殺伐とした雰囲気になってしまっていると言います。確かにそう言われれば、そうだとも言えるのですが、果たしてそうなのでしょうか。
観光都市に投げかけられる“インバウンド対策の未熟さ”との指摘
世界でみると、まだ日本が逆立ちをしても太刀打ちできない国があります。毎年トップのフランスやアメリカ、スペインや中国、イタリアなどがそうですが、これらの都市を訪れると、日本のインバウンド対策の未熟さを感じます。これらトップの国々では、観光収益を得ることを、計画的に、政策的に図っていて、そのためには官民が最大限の協力をしているように感じます。もちろんこうした国々では、日本に比べて生活し難く、また治安なども悪いので、観光政策の必要があるのだと思います。それに対して日本は、そもそも生活し易く、安全で効率的な社会ですので、その分、危機感も計画性も発生しないのではないかと思います。
だからかも知れませんが、日本ではインバウンドを単なる“観光客増加”としか見ない傾向にあるように思えます。例えば、前出の京都の老舗飲食店の方はインバウンド特需で、それまでの3~4倍の収益を上げているのですが、たとえ外国人観光客であってもよそ様の地域に足を運ぶのであれば、当然その土地の住人の考えや、地域の環境については、最低限のマナーは守っていただきたいと言われますし、今後も“啓蒙活動を通じて、そのように理解してもらう”ことが健全な観光産業の前提であると言います。
しかし果たしてそうでしょうか。来られるのが、これまでと同じように日本人だけであるのなら、まだ分からなくはありません。しかし京都は明らかにインバウンド特需が巨利に繋がっていることは言を俟ちません。価値観も生活環境も違う外国人のおかげで潤っているのですから、それに適したインバウンド対策を考えるのが当然でしょう。例えば外国人に聞くと、ものすごく多い不満が“Wi-Fi環境の不備”や“拝観料をとってお寺に入ってもほったらかしだ”、“おもてなしと言っていろいろされるのだが、ほっておいてほしい”、“夜8時を過ぎたら行くところがない”などで、これは数年前から変わっていません。あれほどの観光収入が入るのですから、外国人観光客に“ほんとうに役立つ”サービスを進めても罰はあたりません。
畢竟はいくら口で”おもてなし”などと叫んでも、相手のことを真剣に考え、実行しなければ効果はないという、当たり前に帰結するということでしょう。