文部科学省汚職。400年変わらない中央集権組織。官僚組織にこそ厳しい目を向ける時

陽は昇る 私的日録
日々の移ろい・感受した
ことを書き連ねました

財界の方と話をすると、関西では「関西一丸となって…」と言う表現を使われますが、東京で「関東一丸となって…」というのは聞いたことがありません。関西では大阪と京都は全く違った経済的、文化的地域ですし、それは兵庫と京都、大阪と兵庫、その他の地域でも同じような関係があります。

しかし関東は文字通り”東京の周辺”であり、経済的にも文化的にも同じ地域…というより、常に”東京都の周辺に存在する地域”です。ではその東京とはどのような位置づけかというと、それは江戸時代に町として成立して以来、常に政治、行政都市として存在てきました。最初は武士による政治機構として都市機能が構築され、それが関八州二百五十万石の徳川家から全国を支配する徳川幕府となり、日本の中央政府となり、その後、常に大量の武士、役人を抱え、巨大な官需に群がる商人、職人によってささえられてきました。

この構図は驚く事に、400年を越えた現在でも同じで、東京は政治、行政都市として全国を支配していて、それはかつての武士から官僚へと移行しましたが、巨大な官需があり、それに商人、職人にあたる、企業や業者が群がっているのもまったく変わっていません。また変わっていないという点では、江戸(東京)には今も昔も、膨大な数の未婚の若者が集中しているというのも、この都市の異様さを象徴しています。「しかし、かつての武士や役人も昨今、歯止めもなく繰り返される、文部科学省の根本から倫理観の腐ったような姿をみれば、”切り捨ててやる”と激怒するのではないでしょうか。

江戸時代は確かに武士という”身分階級”が執務を行ってきました。しかし奇異なことに、現在では、公務員試験に受かって高級官僚となった身分階級ではない市民が、行政をおこなっているにも関わらず、その特権階級意識が再燃したのでしょうか、自らの執務を”職務”ではなく、”身分”だとはき違えているとしか思えない醜態が続いています。そして、それに”群がる商人や職人”も真似をしているのでしょう。この半世紀にわたる日本の企業倫理の崩壊も目に余るものがあります。すでに優れた創業者のいた大企業では見る影もありません。

このブログでは、官僚組織の中でも、文部科学省と国土交通省はさしあたって不要な省として、早期に廃止して、その権限は各都道府県に委譲するのが適切と言ってきました。もちろん税制改革とともに例えば販売促進費や消費税などが現在のように、東京本社一括徴収などという誤魔化しをやめるのが前提ではあります。もちろん、そんなことは余程のことがない限り、現実には起こり得ないのかも知れません。

しかし戦後、特に80年以降の文部科学省、国土交通省(厚生労働省もしかりですが)の”実績”をしっかりと見直してみましょう。とてもではないですが、正しい日本の国創りに貢献したとは思えない愚策が数限りなく繰り返されているのではないでしょうか。その帰結が、国民不在の”接待漬け”、”果てしない天下りの連鎖”、”特権階級意識による特別待遇”などの甘すぎる認識ではないかと思います。

確かに、私達市民は政治家の一挙手一投足には厳しい目を向ける必要があります。しかしこれまでは官僚など役人の仕事については、頓着がなかったのではないでしょうか。官僚組織には、メディアも政治家も手出しをしようとはしませんが、それをよいことに、現在の官僚組織は「役人天国を実現した」という指摘も聞こえてきます。それだけに我々市民はこれまで以上に官僚や役人には、厳しい目を向けて行く必要があるのだと思います。

 

 

-陽は昇る 私的日録, 明日の読み方

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