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繰り返される国民の幻滅感
予てから国民は日本では法律は建前であって、裏では政治や財界の力の方が社会を牛耳っているのだと感じていたのが、民主党政権下で、当時の鳩山首相がどちらに転んでも犯罪となるような状況で起訴されなかったのをみて、やはりそうなのかと幻滅しました。
福島原発のメルトダウンの処理の現場でも、社会は国民の民意によって選ばれた国会議員や、その代表たる政府よりも、東京電力の持つ資本力ほうが絶対的な力があると感じていましたが、その後の展開を見ていると、やはりそうなのかとまた幻滅しました。
そして、大手電力会社は地方にお金をじゃぶじゃぶ注ぎ込んで、原発を誘致している後ろで、上の方の人たちの間では、巨額の資金の中からキックバックやリベートが常態化しているのではないかと感じていたのが、今回の、関西電力幹部と高浜町の森山元助役の金銭のキックバックの報道を受けて、やはり原発開発と言っても畢竟、数百億の税金を引っ張って来て、仲間内でそれを掠め取るような仕組みがあるのではと考えていた国民に、途方もない幻滅を感じさせました。
今のところ関電幹部は、自らの力を過信し、世論という嵐が通り過ぎるものと高を括っているようですが、且つての雪印の例をみても、そうなるとは思えない状況です。“森山元助役に恫喝された”とか“金品は個人で保管していた”などと言う、言い訳を信じる人が果たしているのかは分かりませんが、大多数の国民は、おそらく全国の他の原発誘致地でも同じようなことがあると感じているでしょう。すべての原発誘致地や、大手電力会社は、本当に後ろめたいことがないのであれば、完全な外部組織で一切の不正がないことを進んで調査をして、結果を公表しなければならない責任がありますが、そうはならないと思えますし、関電にしても、内輪のお手盛り”外部委員会”はつくるでしょうが、所詮、関電の息のかかった人の集まりになるでしょう。そうなることは、すでに国民は分かっていて、ここでもまた幻滅を感じるのでしょう。
中央官庁から民間への「天下り」と、民間から中央官庁への「天上がり」。中央官庁と民間との人事交流と言う名の、新たな官僚利権の仕組みが生まれている
森山元助役の言動に対する関電側の言い分は、一方的で、死亡しているから言いたい放題だと誰もが感じているかも知れませんが、関電の幹部が一市町村の助役に“叱られて怖かった”などというようなことを記者会見で発表するのは一種のコントにしか思えませんが、今回、無意識かも知れませんが、そのような構図を持ち出したと言う事は、関電側にある程度、それに近いことが歴然としてあることを感じさせます。
そもそも論ですが、このような金の“還付”は、増収どちらも外に出て都合のよいものではありませんので、普通は可能な限り目立たないやり方でするものです。貰う関電側は同社でも収入の高い人達ですからお金など掃いて捨てるほどあります。そうなると、袖の下的なものから、“一種の年金だよ”とするのがスマートなので、貰った金額だけでなく、カウントできない利益享受や、個人情報に抵触するのであれば警察権を使って、関係者全体も調査すべきだと言えます。
関電から数十年に亘って顧問契約を、一地方役人が交わしていたこと自体も奇異なことですので、やはり関電の言う事は、“俺たちは絶対的な力を持っているのだ。こうやって記者会見を開いてやったのだから忖度して、お終いにしろ”と言っているとしか取りようがありません。しかしこのような強圧的な対応を取り続けることができるのも、その向こう側に、官民共同体とも言える癒着の構図が存在することの証左なのかも知れません。そういえば昨今盛んに人の口に上るのが「昔は、官から民への天下りがあったのが、今は民から官への“天上がり”がある」という証言です。これは日本の官僚が、官の一方的な不正ともとれる行為を民間との交流を盾に有耶無耶にするための新しい仕組みだとは言えないでしょうか。
市民の不安を無視した形で、和歌山市「新市民図書館」が12月にオープン
最近の中央官庁と民間との双方向の人事交流が進んでいますが、具体的には、国からの“天下り”があれば、逆に、民間からの“天上がり”もあるという意味になります。これがそれに当たるのかは分かりませんが、今年の12月に2カ月遅れてオープンする“和歌山市民図書館”のきな臭さが話題です。
詳細は、ネット上にも多く紹介されていますが、要するに132億円の巨費をかけて和歌山市駅再開発計画をおこない、その核となるのが、全国に同様のテナントを出して、その内容を疑問視されている、ツタヤを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)運営の図書館だと言います。
これは、この計画が決まった数年前の報道です。
2019年秋に南海和歌山市駅直結のビル内にオープンする新しい和歌山市民図書館の指定管理者の候補者が、レンタル大手「TSUTAYA」を運営する「カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)」に決まった。市教委が30日発表した。カフェなども入居させ、子どもから大人まで幅広い世代が楽しめる場所として、年間利用者の目標に現在の約5倍にあたる約100万人を掲げている。 CCCと「図書館流通センター」の2社から応募があり、識者らでつくる選定委員会から高評価を得たCCCが選ばれた。市民図書館の坂下雅朗館長(56)はこの日の会見で「これまでの市民図書館の資料を大切にしつつ、カフェなど市駅前の活性化につながるご提案をいただけたことを総合的に評価した」と話した。 市教委によるとCCCの提案では、1階にはスターバックスコーヒーや書籍・文具、和歌山の特産品などの販売スペースが入る。2階は暮らしに関する蔵書を「カフェごはん」「文学を旅する」など独自の分類で配置。3階は、哲学から文学まで従来の日本十進分類法で並べる。移民に関する本や絵を集めた「移民資料室」も維持し、パソコンが使える学習室も設ける。子ども向けの4階には、絵本や児童書を置くほか、遊具で遊べるスペースをつくる。屋上には、芝生やテラス席も設けるという 。
版で押したような机上の空論ですが、多くの和歌山市の有権者は、これが出来レースであると感じていますし、そう疑われても仕方のない行為も確認されています。そもそも和歌山市は2002年から2014年までは、ハコモノ建設に消極的だった大橋建一前市長が無駄な開発を認めてきませんでしたが、県土整備部長を退職して立候補した尾花正啓現市長が当選(大橋氏は不出馬)してからは、巨額の補助金を引っ張ってきた大規模開発計画が一気に加速しました。
最近では官僚誘導の公共施設などの、いわゆるハコモノについては「利用されないものに多額の税金を浪費すべきでない」という世論が主となってきました。しかし国交省は巨額の予算を獲得することと、地方のインフラ建築を推進することが正義と信じて疑いません。そこに新しい仕組み作りがどうしても必要だったのでしょう。そこに官民交流という一見、官の力を削いだような空気を作ったのでしょう。官民交流の理想の多くは、こうした使われ方をしているのかも知れません。