不易流行を定義するのはなかなか難しく、時や場所など環境が違えば解釈も多少違ってきますが、ひとつの定義として「時代の流れに柔軟に対応する為に必要な心棒」と言えると思います。戦後の日本社会の変遷を見ていると、焼け跡のゼロから始まって創業者と言われる人たちが当たり前に持っていたこの“心棒”は、その後継者には受け継がれ難いものだったようで、代が替わる度に“不易”は廃れ、“流行”だけを追うようになったように思えます。社会的な責任が誰よりも強い大手企業が次々に考えられない低レベルの不祥事や経営不振に陥っているのはその証左なのかも知れません。
戦前社会では、この点は重要なものと意識されていたようです。特に日本の民主主義が理想的な形に花開いた大正デモクラシー時代には特に、我が身を省みることが貴まれ、当時の文学や演劇などでもそれをテーマとしたものは支持されていました。その時代を象徴するのが、19世紀後半に創設された、江田島の海軍兵学校の校訓でもある「五省」でした。私は若い頃、この言葉に出会い、大いに自らを鼓舞するのですが、年齢を重ねて行くにつれて、これが若い学生への訓であること以上に、不易流行の基本的な姿勢を表していると解するようになりました。
因みに「五省(ごせい)」とは、次のような訓です。
一、 至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか(真心に反することはなかったか)
一、 言行(げんこう)に恥(は)ずるなかりしか(言行不一致はなかったか)
一、 気力(きりょく)に缺(か)くるなかりしか(気力、精神力を欠くことはなかったか)
一、 努力(どりょく)に憾(うら)みなかりしか(努力を怠ることはなかったか)
一、 不精(ぶしょう)に亘(わた)るなかりしか(怠惰に陥ることはなかったか)
一見、若者の行動を律する訓に見えますが、ある時、これらの項目はいずれも年齢や体力に関係なく実践できるものであることに気づきました。つまり至誠や気力、努力などは人間の心棒のようなもので、それを欠くことは、単に流行に飛びつく漂流的行動となると戒めているのだと。この訓に真摯に向かい合い、行動すれば、あの不祥事も、あの犯罪的行為も、またあの…、と考えられます。
地名に意味が込められているように、私達の祖先は後の世代が過ちを起こさないよう、深い知恵を残してくれています。自分達がベストと自惚れることなく、こうした声に頭を垂れる姿勢が求められているのでしょうね。