私が若い頃、京都で聞いた若手社員の心がけのおはなし

社会の根底にある”理由”

新入社員のお仕着せのスーツ姿が街に溢れるころ、いつも思い出すはなしがあります。それは私がまだ若い頃、時代はバブルの入り口で、日本全体が好景気に浮足立っていた頃でもあります。当時の日本の外務大臣が「アメリカの黒人は失業してもアッパラパ―」と発言しても、みなが笑っていたような時代でしたが、私も粋がっていたようにおもえます。そんな時、仕事をおえてからわざわざ京都まで遊びに行って、偶然バーでかなり年配の芸妓さんと知り合い教えてもらった話が、その後の人生観を変えることになりました。

「あなたは営業? そしたら相手様を訪問して応接室に通され、お茶と灰皿を出されて”○○はすぐ参ります。おかけになってお待ちください”と言われたらどうします?」。私はせっかくなので、席についてじっと待ってます。お茶には手を付けません。煙草は吸いませんしと答えたと記憶してます。彼女は苦笑いを返しましたが、目は笑ってはいなかったように思えます。

「あのね、よそ様のところに伺った時は相手様がくるまで、あなたはじっと立って待つものですよ。その為に応接室には絵画や彫像が置かれてるから」。たったこれだけの話でしたが、当時の私には衝撃的でした。その後の人生の中で、これと同様の話を何度か聞きましたから、当時のこの年代の方にとっては常識だったのかもしれません。でも、その時の爽やかな気持ちは私の人生観を変えました。自分の生きている社会には、ちゃんと理由があるんだと、ただそれを知らないだけなんだと、そう考えました。

こうした知恵をなんと表現するのか、私にはわかりません。”ホスピタリティ”というには軽い気がしますし、”気働き”でも違う気がします。でも私達の先人が、高い見識で築き上げたもののひとつであることは疑いの余地はありません。残念ながら、その後の人生にこのような”知恵”が、次第に無くなって行くのを感じてきました。しかし、優れた知恵は決してなくなる事はなく、必ずしやまた自然に人々の求めるものとなるのだろう。これが、いつも若い世代の姿を見るたびに蘇ってくる、同じ時代だった私の教訓でした。

 

 

-マーケッターが往く
-

© 2024 明日を読む