若い世代の“無気力気質批判”や“物欲のない世代論”的レッテル貼りは親世代の恥と知るべし

若者の無気力とよく言われます。今の若い年代は物欲がなくなっているとか、モノよりコトにスイッチしているなどと“解説”が続きます。中には“現代の若者は無気力気質である”とまで言い切ります。しかしこのような無意味なレッテル貼りは、すればするほど、親の世代や、団塊の世代の恥になることをもっと意識する必要があるのではないでしょうか。

若い世代は果たして無気力なのか

事実若い年代は無気力や物欲がないのではなく、“明日を信じることのできない”社会や時代に投げ出されているからであり、その現象として“社会が資産を蓄えられない仕組みに変化”していたり“社会に信頼できる先人が不在”であるからです。
資産面で見ると、且つては貯蓄大国であった日本は、いまはその面影もなく、最近の調査では世界でも有数の“貯蓄のない国”と位置付けられているのがその証左ではないでしょうか。日本は「若者の大貧困国」と言っても間違いではないでしょう。
また、世に瀰漫している社会的影響力の強い人々のある種の人格的“不潔さ”が次々に露呈する中で、“このような人にはなりたくない”と感じる部分があり、それは逆の立場から見ると、覇気がないとか無気力だとか感じるのでしょうが、自らを省みることができていない証左でもあるでしょう。
特権階級化した銀行の詐欺的行為が若者に与える影響は無視できない

且つては人々は「明日は今日より良くなる」ことを信じて疑いませんでした。貯蓄について現在の貨幣価値で団塊の世代を振り返ってみましょう。22歳で会社員になる。当時は年2回のボーナスは当たり前でしたから、ローンや生活費の凹みなどは、これで充当しても余りあるほどです。そこで月5万円の定期預金を複利ですれば、金利は6~7%ありましたから、これを6%で計算しても10年預けると820万。今おなじことをしても600万ですから220万の差ができます。

また、普通預金で生活費などを入れておく財布代わりの口座もありましたが、ここにも常時数十万、入ったり出たりしている訳ですから、ここでも“美味しい”金利が発生しますから、当時は学校を出たての新入社員でもお金がお金を生みますので、充分、夢のある生活ができたのです。もちろん年功序列や退職金制度、なぜか契約の数倍支給される60歳からの年金など、「庶民天国」であったのです。

そうなると銀行に対する信頼も出てきます。大卒者の就職希望企業の上位に銀行が名を連ねたのはこの時期ですし、“銀行では1円でも収支があわなければ深夜まで残業する”などというプロパガンダが信用されたのもこの時期でしょう。何千億円という焦げ付きを平然と出して責任をとらない銀行が1円にこだわるわけがそもそもないだろうという“常識的判断”が主となるには時間はかかりませんでした。

詐欺まがいの行為がまかり通る市場に喝

しかし現在では、空前の利益をあげても政治的な圧力をかけてゼロ金利を飯のタネにしたり、“金融商品”と称して詐欺まがいの勧誘をしていては、信頼など生まれるわけもありません。

企業の幹部や、社会的有権者についても同様です。超がつく大企業のトップが自らが経団連の会長になりたいために、会社に粉飾決算をさせてみたり、経営をついだ御曹司が明らかな会社のお金をギャンブルや遊びに費やしたりしているようなことが常態化しているのですから、ここにも信頼などあり得ないわけで、むしろ一見無気力に見える若者の行動や言動はこうした乱れた社会に対する警鐘ととるのが正しい理解だと思います。

そんな次を担う世代にレッテルを貼って自己を正当化するような行為を、国民が気づかないはずはありません。企業や社会に対する信頼の欠如はいずれは国を歪に二分する意識の変革に繋がります。違法な行為や法すれすれのような、そうした行為は社会的な流れですから個人が反省しても是正されることがありませんので、“落ちるところまで落ちる”のが世の常ですが、風向きが変わった時、それは“恥”となって跳ね返ってくることもまた世の常ということでしょう。

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