平成を終えるにあたって、何も残せなかった70年 私達はどのような国になるべきか

日本の外国からの観光客が今年最速で2000万人を突破したというニュースがありました。テレビでも“日本は最高”という趣旨の番組が高視聴率をとっているのか、同工異曲な番組が目白押しの状態です。実は業界関係者の認識では、“日本が最高”的な番組が多く作られる時期というのは、日本人の自国に対する自信喪失時期に顕著だと言います。つまり自国の何かに不安、不満が高まると、内に閉じこもる習癖があるということです。

確かにそうかも知れません。“日本は最高”番組を見ていても、もうほとんど後継者のいない職人技術を取り上げていたり、渋谷のスクランブル交差点を1回横断する人数よりも少ない観光客が訪れたような、昔の風情を持ったお店を絶賛するようなものが多いのですから、何か戦後日本にたいするレクイエムのようにも感じます。

何も残せなかった戦後70年


外国人観光客も日本人も皆そうですが、今の日本に求めるものは、今の日本ではありません。過去の文字通り“遺産”を求めています。もしかしたらそれは、近代化されるキューバと国交が再開されると決まって、“今見ておかなければ、キューバが見れなくなる”と観光客が殺到するのと同じようにも感じます。それほど日本は戦後70年、何かを残せなかった事実に愕然とします。

日本が戦後、何も残せなかったなんて、なにを言ってるんだと言われる向きもあるでしょう。例えばSONYやHONDA、TOYOTAはどうなんだと言われるでしょう。しかし、これらが世界的な地位を築いたのは戦後の日本が築いたというより、戦前の日本人の遺伝子であったことは間違いがありません。その遺伝子が育てた日本人の中に70年代、花を咲かせもしましたが、今検証すると既にそうした人々は、会社組織の中ではアウトロー化していたことに気づかされます。そして戦後の経営者がその有り余るほどの資産を持っていながら、ウォークマン以来、すべての競争に立ち遅れ、そして現在では外国との競争に歯が立たなくなり、あまつさえ軒並み不祥事や背任行為に身を落として行く姿は、すべてを表しています。

逆に社会不安というのは70年が生んだ影の部分です。今あなたは将来に不安はあるでしょうか。学校を卒業して、適当な時期に結婚して子供が生まれ、父になり祖父になり、そして60歳になるときには年金と退職金で悠々自適な老後が約束されていると信じている人がどれほどいるでしょうか(いたらそれはそれで問題ですが)。どの世代も、どこに住んでいる人にも、希望や未来への信頼はなく、このような時代も戦後では初めて現れました(2020年東京オリンピックが終わる前後には、膨大な資金を有している東京都でも深刻な不景気がやってきます)。且つての為政者や政治家、企業経営者は国民の不安にはかなり敏感でした、しかしその解決を制度ではなく既得権益者の増加と税金の投入で乗り切ろうとしたツケがこれからきます。

日本が戦後、築き上げたと考えていた“経済”が経済企画庁長官をして“既に日本は経済大国ではない”と言わしめた段階で、日本の70年のほとんどが瓦解しました。いやそれでもアニメやゲームがあると言われるかも知れませんが、これらは明らかにそれが誕生した時はサブカルチャーにも満たない爪弾き的存在であった偶発的な“誤差”であったことは知っておくべきでしょう。いま第2、第3のサブカルチャーの影は見られません。

21世紀の日本の青写真

私たちが、特に今の若い方が考えなければならない事。それは如何に今の社会に適応するかではなく、自分達が創造しなければならない“新しい日本人像”。新たな日本の青写真でしょう。今の50歳以上は規格大量生産に適した社会を作るために、個性や特徴を強制されることを強要された時代です。今では想像もつきませんが、かつては高校生、大学生でも喫茶店に入り浸っていては、そこで勉強をしていても“不良”(文字通り良く無い)とされました。長髪やギターなどはすでに“悪童扱い”であった時代です。

その間にも日本の官僚は“庶民は愚かで我々が誘導してやらなければ何もできない”と考えて、国つくりを進めてきました。その為に国民が何も考えないような仕組みを作ってきました。確かに最初はある程度の効果を上げたでしょうが、それが代が変るごとに徐々に自分達の身分(職業ではなく)保証のために費やされるようになりました。東京一極集中などの政策だけでなく、公務員の異常な待遇の強化が粛々と進められてきた今、日本はかつてどこの国も経験できなかった公務員天国を作り上げました。そして戦後の70年の日本はすべてを失い、公務員と既得権益者のための天国のためだけに存在しています。もう下々の国民の見る夢は、且つての日本しかないという状態になっているのでしょう。

次世代の“新しい日本人”を創造する

日本は深刻な存在危機を迎えた1995年辺りから20年以上、何の改革もしてきませんでした。それは例えれば、従来規模の100倍の台風が100%の確率で“20年以内にやってくる”と分かっても、自らの生命や利益の確保のために詭弁を有して、なんら必要な改革も対策も打たずにきた自分勝手民族の図になるでしょう。生命の進化はこうしたセルフィッシュな種は滅ぼしてきました。国もまた同じ運命を辿るのでしょうか。

しかし、それを食い止めるにも、若い方には次世代の“新しい日本人”を創造するために行動することが望まれます。その方向性は、今の為政者や社会の評価などなんの意味もありません。間違いもあるでしょう。しかしどのような間違いも、戦後の日本のシステムを継続してゆくよりかはマシな未来に繋げることができるでしょう。

団塊の世代とそのあとの縮小した世代は、過去の遺産とともに棺に入る運命なのかも知れません。しかし彼らの中にも、国士はいます。迷わされずに、惑わされずに、正しい情報に基づいて全世代が縦に結びついて新しい時代を創造しなければなりません。

 

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