日本学生支援機構という名の”学生ローン”から若者を救済しなければならない訳

  高等教育無償化の”光”に見棄てられる日本学生支援機構の奨学金被害者の”闇”

2020年4月から“大学の学費無償化”が始まります。正式には「高等教育無償化」と言い、経済的に大学、短大、専門学校、高等専門学校で学ぶことが困難な学生に対し教育費を支援する政策で、初年度は全学生の約2割が対象となります。今回の高等教育無償化は返済義務のない給付型奨学金と授業料減免制度による支援が基本ですので、制度を利用することによる本人の負担は一切なく、今後教育が重要となる国家には不可欠な制度だろうと思います。

しかし、そんな制度が始まる中で、2004年から日本学生支援機構で奨学金を利用していた学生は極めて悪質(敢えてこの言葉を使いますが)な金融事業の餌になり、自己破産が相次ぎ、多くの学生が今も多大な債務に苦しめられていて、そこに本当の意味の救済策がなされることはありません。その意味ではこれらの学生は”棄民”と言うのかも知れません。

しかし、今ある国の制度を覆すのは官僚の構築した制度に盾突くことになるので、本来彼らを救わなくてはならなくても政治家は動きません。政治家諸君は点数稼ぎの目立つ政策に奔走するのでなく、政治に責任で犠牲となっている、こうした学生の救済を真っ先に行動に移してもらわねばなりません。

学生を批判する前に、日本学生支援機構の現実を知るべし

奨学金の返済について、よく聞くのは“借りたら返すのは当たり前で、自己責任である”という意見です。しかしそれは、制度のことを良く知らないことで、普通の金融事業と奨学金制度を混同したものです。

戦後の日本では経済的に高等教育の学費工面が難しい学生は日本育英会の運営する奨学金制度の下で活用してきました。それが2004年に日本育英会から日本学生支援機構に引き継ぎされたのですが、その段階で“学生を支援する公的制度”から“公的制度に名を借りた、“単なる金融事業”に変わりました。通常、奨学金を利用するのは、家庭にも、また学生自身でも人生で1回のことです。公的機関でありながら、利用者に、その抜本的な不利益を充分説明せず、まるで窓口が代わったくらいの対応ですから、誰もが且つての奨学金と同様であると受け取った経緯があります。

京都市公式 働くルールを知ろう ストップブラックバイト

本来、奨学金とは返済の必要のない給付型の援助のことを言いますが、日本学生支援機構の奨学金は、返済しなければならないローンです。奨学金であるならば、百歩譲ってローンを認めるとしても、それに利子をつけるべきものではありません。かつては無利子奨学金がメインだったのが、国の政策によって有利子奨学金が急増し、現在では有利子奨学金を借りる学生の人数が無利子を逆転しています。であるならば、奨学金制度と謳わず、「学生ローン」として営業すべきでしょうし、本当に援助が必要な学生に必要な制度を構えられない文部科学省こそ非難されるべきです。

奨学金制度については、政府や政治家の無策・無関心も大きな問題です。ここではなにが問題なのか3項目についてご説明します

1、凄まじい学費の高騰と、日本学生支援センターの強引な取り立て
この十数年だけでも、日本の大学などの学費が異常に高騰しました。国立大学ひとつをとっても、初年度納付金は、且つての100倍近くになっています。つまり教育に対する公的支援が大幅に削減されてきたのです。 日本育英会から学生支援センターと名を借りたと同時に、「奨学金は金融業」になり、貸付金の回収が強化され続けられてきました。今では、延滞3か月になると、延滞情報は個人信用情報機関のブラックリストに登録され、延滞4か月になると、債権回収業者による回収に引き継がれます。延滞9か月になると、多くの場合、支払督促という裁判所を利用した手続が行われ、その件数は、2006年度の1181件から、2014年度には8495件と激増しています。奨学金でこれほど督促が増えているのであれば、その見直しこそ政治の本質ではないかと思います。

また、回収強化の中で問題となっているのが、「繰り上げ一括請求」です。これは、一定期間返済が滞ると、本来の返済期限が来ていない先の割賦金を含め、一括で請求するものです。月々の支払いさえできないのに、将来の分まで請求するなどとは“学生支援”の名を付ける権利はありません。しかも、この「繰り上げ一括請求」、規程では「返還能力があるににもかかわらず、返還を著しく怠ったとき」に行うとされているにも関わらず、明らかに返済能力がない人にもこのような請求がされています。学生支援機構は、「連絡もなく、救済も求めない人は、返済能力があると認識せざるをえない」と説明していますが、そんな理屈は普通は通らないもので、なぜそれが見逃されているのか、行政の怠慢としか言いようがありません。

2、経済環境に伴う家計の悪化と企業の業績の悪化
税金が高騰し、公的事業に多くの予算が割かれているにも関わらず、民間の経済環境は悪化の一途を辿っています。家計はますます苦しくなり、今では大学生の40%強が、奨学金を借りています。もちろんそれだけでは学業を続けられない状態ですから、ブラックバイトに手をださなくてはならないのが実態です。

また、卒業して社会に出ても、実質上の企業業績の悪化と雇用条件の変化が、それに拍車をかけます。支援機構の調査でも停滞者の80%は年収300万以下で、200万円以下というのも半数に上ります。企業の内訳でも40%近くが非正規雇用という環境の中で、どのようにして返済できるというのでしょうか。これを政治は問題だとは考えないのでしょうか。

3、国の救済措置がない。または不十分
学生支援機構の“取り立て”については、前に述べましたが、救済措置もあまりにお座なりです。機構の奨学金では、経済的困難にある人には、年収300万円以下などを目安にして、返還を先延ばしにする「返還期限の猶予」という制度がありますが、利用できる期間は10年に制限されていますので、10年が過ぎたら、収入が少なくても利用できません。しかも延滞がある人は、延滞している元金と延滞金を全て支払わなければ、救済制度の利用が制限されるのです。返せないから延滞が生ずるのに、延滞を解消しなければ救済しないというのですから、もう意味不明です。さすがに批判を受けて、2014年4月からは、年収が200万円以下など延滞があっても、それを据え置いたままでの返還の猶予が認められるようになりましたが、舌の根も乾かない8か月後の2014年12月、機構は、この新たな制度の利用をも制限するようになっています。

 

文部科学省も政治も本気で日本の教育を考えろ

基本的に機構の裁量でどのようにでもできるのですから、このようなものは制度と言えるものではありません。政治の力で、こうした国の無策に困窮している若者を救い、“大学など行かなければよかった”と後悔することの無いような環境を作り出さねばなりません。そのためには、機構や制度の抜本的見直しを急ぐしか方法はありません。こうしている間にも多くの若者が人生を棒に振っているのですから。

我が国の教育予算は、先進国に於いて極めて低いレベルで、教育への公財政支出の対GDP比は、OECDの各国平均が5.4%であるのに対し、我が国は3.6%に過ぎません。また、高等教育に至っては0.5%と、加盟国中最下位です。私たちが築いた日本が、少なくとも貧困若者や弱者を作りだすような仕組みに鎮座するような国体にならないよう、声を上げ、行動すべき時なのだと考えます。

 

-明日の読み方, レライアンスのビジネス
-, , , ,

© 2024 明日を読む