最近の京都に瀰漫する“安っぽいエリート意識”を懸念する

観光都市”京都”の姿

前2回で、観光ビジネスについて私見を述べました。今回はちょっと脱線しますが、最近の観光都市“京都”で大変気にかかる問題点についてお話ししようと思います。
私は、京都には若い頃から比較的頻繁に足を運んできました。かつても今と同じ観光地ではありましたが、観光のファクターも、外国人観光客数も、様々なお店の数も、今とは比較にならないくらい少なかった時代でした。それだけに現在のような大観光地となっても、客観的に見ることができますので、京都の良いところも、悪いところも判断できます。
京都は日本である意味、観光ビジネスで最大級に効果を上げたエリアですから、お土産と行っても外国産のものが多いですし、観光客レベルだと他府県産の京野菜くらいしか口にできません。そもそも京都固有種としての野菜などなく、他府県から入れたものをブランド戦略として定着させたことから見ても分かるように、京都とは日本最高レベルの“観光ビジネス地域”なのです。勿論それは非難されるものではありません。今の東京がそうですが、力のある地域が他府県の“良いとこ取り”をするのは、当たり前ですから、それによって潤う地域ができるのですから当然の仕組みではあります。※現在の東京を例に挙げましたが、官僚の力づくで作られた地域と言う意味では、東京は京都の足元にも及ばないかも知れませんが。


当然のことですが、観光化が進むと、それに伴う乱開発が頻発して街並みを平気で破壊したり、京都ブランドを逆手にとったような、濡れ手で泡…の業者が進出したりして、京都もその例には漏れないのですが、それでも観光事業に真摯に取り組み人々の努力によって、高いクオリティを保っているのは高い評価に値するものです。畢竟、観光都市・京都は御商売屋さんや企業、京都文化を支える地場の職人さんなどの“地域の人々”によって支えられていると感じます。

若手に多い、安っぽいエリート意識には辟易する

しかし、最近時折目につくようになったのが、比較的若い世代の後継者やお商売屋さん、飲食店などで見られる、安っぽい文化人意識です。彼らは高価な着物を着て、どこかで借りてきた知識を披露することで、女性客や外国人客からの羨望を浴びる事が嬉しいようです。自らの海外在住経験やネットで仕入れたようなプチ情報、有名人との交流話を持ち出して嬉々として語ります。お座敷などで他に同行者がいる場合など、不機嫌そうな顔をするわけにもいかないのですが、本来なら、その辺りの”空気”を察してくれるはずの女将さんや仲居さんなども、そこをスルーされてしまうと大変苦痛です。こうした経験はかつてはまずなかったのですが、最近の異常な京都ブームの中で、どうやら一種の”変質”が起こっているのかも知れません。老舗や大そうな設えをしながら従業員教育が散々であったり、客に対して上から目線で接して“京都の良さを教えてあげる”的な対応をするお店も随分増えてきました。
私の知る限り、かつての京都の老舗などでは、客の気持ちの忖度に長けていて、本当に行き届いていると感じるものでしたから、このような似非エリート意識的な応対を受けたり、見聞きすることは絶対と言って良い程ありませんでした。ここでは徹底した”顧客絶対主義”があるからこそ、客側にも”お店などに対する忠誠心”の関係が成り立っていました。そして、こうしたお店のお客様が、京都文化を支えてきたことは疑いようもないことですが、似非エリート意識を持つ者には考えが及ばないようです。いくら、京都の旅の行程中で、優れた接客を受けても、こんな薄っぺらい対応をされれば、全行程が台無しになってしまいます。

京都の観光ビジネスを守り、発展させて来た皆さんにお願いしたいことがあります。観光ビジネスはいくら成功したと思っていても、いわゆる”究極のサービス産業”です。お店が客の上に立つことはありえません。こんな“蟻の一穴”が、全体を崩して行くことになることを、しっかり再認識してもらいたいものです。そして、こんな軽々な輩を排除とまでは言いませんが、身を糺すよう指導力を発揮して頂きたいと思います。

-インバウンド・観光
-

© 2024 明日を読む