日本の社会地図を検証する。何故、地方は中央に頼り切るのか。

規格大量生産社会が地方の創生能力の欠如に至った訳

先日、若い世代の方に“日本と世界社会の見方”というテーマでお話をさせて頂きました。最後の質疑応答の時間で、“地方には創生の力はあるか”との旨の質問を受けましたが、時間が押していて、確か「1970年代から強化された規格大量生産社会が、日本の教育の没個性化を押し進め、それが現在の地方の疲弊に繋がっている」と言うような内容の話をしました。その時はそれで終わったのですが、帰宅してすぐに、“この最後のお話の流れを教えてほしい”とのメールが数通入り、その後もメールやチャットなどにも同様の質問が続いていました。話のミソは、“風が吹けば桶屋が儲かる”的なことでしたので、連想すれば答えに辿り着くと考えて、少し過程を端折ったのかも知れませんので、この場を借りて改めて御説明しようと思います。
戦後、“所得倍増計画”で、ゼロからのスタートを切った日本では、70年代にその目的を達しました。その経験から官僚は次の国の目標として“規格大量生産社会”の実現を国是としました。具体的には第一の仕組みとして“官僚主導の業界協調体制による経済システム”を構築しました。これによって護送船団方式がとられ企業が潰れるリスクが抑えられるようになりました。従業員は終身雇用に守られ、年功序列や退職金制度によって楽に生活設計が立てられるようになりましたが、その代償として家族は核家族化し、従来の地域社会は激減しました。

教育と業界協調体制が方向性を固めました

第二は教育制度の没個性化です。学区制がひかれ、好きな学校には行けなくなり、同時に画一的な人間形成が求められました。得意ではなく、不得意なものを改善するようになり“金太郎飴”的学生作りが行われ、生徒は校則に、先生は指導要綱の枠に縛られました。人と違う事は“悪い事”とされ、長髪やギターを持っているだけで“不良”、つまり“良くない学生”のレッテルを貼られました。

第三は業界協調体制の仕組みができ、頭脳機能が東京一極に集中されます。“全国一律”の規範を作る為には、東京が頭・脳でその他の地方は手足として動く事が必要とされました。ですから放送局のキー局システムなどで報道方針も東京だけで決められるようになって、日本の産業経済と情報発信、それに文化なども全て東京だけで扱うような仕組みがとられました。そうなると全国から頭脳と呼べるスキルを持った優秀な人材は皆、東京に集まるようになりました。勿論優秀な頭脳は多くの人材も抱えていますし、そうした頭脳をサポートする人々も、彼らの移動と伴って東京に移り住むことが有利とされるようになり、必然的に地方からは能力や経験のある人材がいなくなりました。そして数十年が過ぎ去ったのです。これが3つの要因です。次のブログでは、ではそれが地方の能力の欠如に関わってきたことのお話をしようと思います。

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