日本の社会地図を検証する。何故、地方は頭脳を活かせられないか。

そもそも頭脳が残っていない?

その間、地方でも様々な取り組みがなされたこともありました。しかしそもそも頭脳が抜け出てしまっているので、これと言ったことができる人間はいません。仕方なく、東京にある企画会社や広告代理店に依頼しますが、既に東京でも真に能力のある人は、様々な大きな組織に組み込まれていますので、地方からの依頼を請けるような会社には、知恵も経験も能力もなく、また責任感の著しく欠如した人材しか残っていない状況となっていました。
それでも地方には中央官僚からの予算が毎年それなりに増やされてきていましたので、効果がなくても、無駄であっても、こうした能力の欠けた人々によって浪費される流れができてしまいました。

企業だけでなく地方役人などは元々、責任など与えられていませんでしたから、勿論それを行使できるはずもなく、地方は衰退の一途を辿っていったのです。東京に行った“頭脳”は、当然未来が約束されていたわけですから、危険を犯すリスクを避けるようになって行き、自らが属する組織の利益の為だけに能力を浪費するようになりました。各チームの4番バッターばかりを集めてチームを作っても、やはり定数は落ちこぼれて行くプロ野球の例を見るように、社会には無責任で企業倫理に欠ける“頭脳集団”が誕生することになりましたので、地方は当たり前のように“頭脳や倫理過疎地化”が進むことになりました。
これが私の話の趣旨でした。説明できたので胸をなでおろす気分ですが、残念ながらこうした日本の姿は何も変わらず、東西冷戦後すでに四半世紀を過ぎました。日本が改革する為に必要な歳月はすでに終わってしまっていますので、あとは厳しい未来しか残っていないのが現状かも知れません。
今、世界で活躍するスポーツ選手や文化関係の才能に優れた人々は、こうした日本的制度とは無縁の人々だと言えます。彼らは組織に守られて利害を追求したり、楽な将来性を求めることを良しとしなかったから、今世界で評価される活躍ができます。戦後の日本の社会体制からは、特にこれからは真のリーダーシップは生まれた来ないのは、こうした理由によるものだと言えるでしょう。

 

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