平昌五輪に吹く冷めた風を、日本は他山の石としうるか

パリ・LA五輪同時選考決定の余波

先頃、2024年と28年の五輪開催地が、それぞれパリとLAに決定しました。当然のことですが2大会の開催地が一緒に決まるなどというのは前代未聞とは言いませんが、それでも近代では異例中の異例であることは言を待ちません。バッハIOC会長は“傑出した2都市での開催を決められるような絶好の機会を逃してはならない”と発言しましたが、これが本当の理由であると信じているのは、バッハ会長を含めて誰もいないでしょう。
84年のロサンジェルスオリンピックまで、赤字続きであったのを、時の実業家ピーター・ユベロスがスポンサー契約や放映権料を吊り上げることで黒字化した後は、同様の手段で黒字大会に変貌し、現在に至っていますが、すでにオリンピックは世界的には“見放された”存在になっているというのが一般的な見方です。
それは彼のピーター・ユベロスの黒字化と無縁ではありません。世界規模の大企業の存在なしでは、このビジネスモデルは成り立たず、そこに先進国の高齢化が伴ったというのがザックリした捉え方で、それ自体には間違いはないでしょうが、ここではそれがテーマではないので他に譲ります。問題は今年に開催される韓国平昌五輪の見通しと、それを日本が2020年オリンピックで懸念される悪材料を払拭する為の他山の石とできるかです。

 

世界的なイベントは所詮民衆の支持がなければ続かない

平昌五輪はあと半年ですが、韓国の文化体育観光省の行った世論調査では“関心がある”が35%。直接観戦したいと答えたのは8%弱だと言います。しかも文在寅大統領の一気挽回策の北朝鮮の参加も当の北に無視されている状態ですので、今もし参加が決まっても韓国国民からは“どんな裏取引があったのか”と訝られるだけでしょう。
しかし、いざ始まると国民性もあり、盛り上がりもでるのでしょうが、平昌五輪については韓国国民が心配すれば良いのであって、日本ではそのような背景がないにも関わらず、2020東京オリンピックについてはその開催内容の“ショボさ”や“利権臭さ”がぷんぷん漂ってきます。これまでの過程を見ても既得権益者のなりふり構わない利権漁りは公然の秘密扱いされているようで、東京にいると“その手”の話がゾロゾロ噴出してきます。
すでにメイン会場は大会終了後、国際大会が開けないとか、トレードマーク自体“決められない”体制で無駄に多数決に頼ったりとか良い話は聞きません。しかも日本は世界でも一線を画するレベルの超高齢化社会ですので、2020年の8月に猛暑の東京で何が起こるかなどは、その時にならなくてもある程度分かると言うものです。既に盛りは過ぎた五輪イベントですが、いくらメディアが騒いでも、政治家や官僚、既得権益者だけが暗躍する世界的規模のイベントなどが今後支持される可能性はかなり低いと感じます。
もしかしたら“遅きに失した”かも知れませんが、世界的イベントは庶民のものと言うコンセプトを無視していては支持は得れないものであることは忘れてはなりません。

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