衆議院選挙について私がひとつだけ言っておきたいこと

2017年10月衆議院選挙が行われます。毎回選挙になると、様々な場で、それぞれの観点から意見を求められるのですが、的を射た御質問を受けることは極めて希で、多くは、この人は一体何が聞きたいのだろうと疑問に思ってしまいます。単純に“今度の選挙、どうなると思う?”と聞かれれば答えようもありますが、“選挙公約を比べると…”とか“現政権はこうだが、○○党の言っていることに期待するのだが…”と言う聞き方だと“そもそも前提が間違っていない?”と言いたいのをグッと堪えてお答えするのですが、そんな人限って意見を聞くのが目的ではなく、自分の意見が言いたいだけなので、余計に面倒です。だから私は選挙について自分から話題を振ることはないのですが、今回1点、指摘しておきたいことがあります。

「嵐の中でシルクハットを被ろうとするな」

“南太平洋”と言うミュージカルでしたか、同様のセリフがありました。外見ばかり気にして、大切な対応ができない人を指して「それは嵐の中でシルクハットをかぶるようなものです」と指摘するシーンです。この四半世紀の日本政治と取り巻く環境はまさにこれではなかったかと思います。過去の世界の歴史に例のない少子高齢化社会の到来や、長期に亘るデフレ経済、横田めぐみさんをはじめとする国家による大量拉致犯罪や世界中からのサイバーアタック。日本の社会体制の見直し、官僚のよる岩盤規制など組織の硬直や、高齢者医療費の爆発的増大や税収不足、大量の公務員や既得権益者の跋扈などなど、この四半世紀、日本では国家の存亡に影響する、待ったなしの課題が山積してきました。しかしそうした“嵐”が来ても、或いは来る直前になっても、国会では単なる点数稼ぎ的な議論ばかりが優先され、時には捏造や歪曲と分かりきっている議題で国会が紛糾することは常態化してきました。その極致が今回の「森友・加計学園騒動」でした。これに関しては、もう馬鹿馬鹿し過ぎてコメントのしようがないのですが、ひとつだけ降って湧いたように、日本の将来に対して極めて重要なテーマが浮き彫りになりました。

選挙の行方は明確。それより“新野党勢力誕生”への足場構成が課題

今回の選挙は安倍内閣の日本創生への覚悟が見て取れるものと評価できます。あの民主党政権下の頃は多くの方が“日本はこれから一体どうなってしまうのでしょうか”と聞かれましたが、急転直下、当時の民主党の野田首相のファインプレーで安倍政権が誕生して、劇的に好転しました。これをとっても今回の選挙は選挙にならない選挙です。圧倒的な実績を築き上げた政権と「森友・加計学園騒動」に代表される野党では、これが闘いになるほうが不思議です。メディアでは“3極”と言いますが畢竟は「政権与党の地盤固めと野党の野合、分解から、正当な野党誕生の息吹」が確認されることになるでしょう。特にみどりの党や日本維新が野党としての足場を固めて行けば、何でも反対野党よりも国益に大きく役立つことは明らかです。

公約で投票先を選ぶことの具

選挙に際してよく“各党の公約を見比べて”とか“政策論争すべき”という言い回しを聞きます。しかしこれはナンセンス。過去を振り返っても、公約などと言うのは、与党以外では単に非現実的な観点で、有権者受けする言葉を並べたものに過ぎません。且つて民主党はマニュフェストという概念を出してきました。しかしそれには具体的なタイムスケジュールが明記されていませんでしたので、政権をとった同党が実現した政策もあったのですが、“何もできなかった内閣”のレッテルが貼られてしまいました。それは仕方がありません。公約など口で言うのは簡単です。ところがこれを法制度で実現する為には、想像を絶する膨大な手間とエネルギーが必要となるのですから。それからはマニュフェストは自らの首を絞めるものだと認識され死語になり、ますます野党は抽象的な、受けだけを狙った言葉と虚構ばかりになりました。だから投票する場合は、政権の過去の実績を(ちゃんと)見て、成否と判断することが必要です。


それでは政権与党に有利だと言う声も聞こえてきますが、民主主義選挙とは実はそういう物なのです。それでなくては、安定して政策を実行できません。「だいたい満足だが、一度やらせてみよう」と言う判断の下に動いた結果は先に述べました。

選挙にならない選挙。でも対応を間違ってはいけない事項もある

そんな選挙にならない選挙ですが、彼の「森友・加計学園騒動」で降って湧いたのが、官僚の岩盤規制と有権者を馬鹿にしたような国会答弁でした。「文書が出てきた」「文書は捨てた」「記憶にない」「確認しているところ」「確認できない」…。且つて世界一優秀だと言われた(自画自賛だったかも知れませんが)官僚が、このような既得権益集団になり果てていたことが明らかになった瞬間でした。これが日本の官僚全ての問題だとは思いません。しかし国会で答弁する立場にある官僚がこのような姿勢をとることは、日本社会の存亡に関わる重大事であることは確かです。これに関してはもし与党が対応を怠れば、大きなしっぺ返しに繋がる可能性があります。今でも安倍首相が「森友・加計学園騒動」に直接関与していたと考える有権者は極めて少ない。しかしその官僚の答弁を糾弾しない政府の姿勢には憤りを感じていることは間違いありません。だとしたら、日本維新の会やみどりの党がその点をあくまで追求すれば、存在意義を高めることも可能です。

憲法の「文民統制明記」について、ひとこと指摘したいこと

これに関して、安倍首相は党首討論で「憲法9条に自衛隊の文民統制を明記する」と述べています。このことにはひとことあります。先の官僚の役人根性や日本全国で繰り返されている公務員の不祥事を見れば、「行政組織は全て文民統制されている」ことを明記した上で、自衛隊を内閣総理大臣直轄であると明記しなければなりません。もちろん今は分かり易いように表現しているだけで、いざとなればこの流れにするのであるのだと類推しますが、そうしておかなければ、またしても「統帥権干犯」などの懸念が生じることになります。

選挙とは“誰を選ぶ”だけでなく、何年かに一度、有権者が現行政治に許可を与える機会です。議員もその間、常に選挙に備えて活動方針や支持者の確保の為に準備を怠っていません。有権者も正しい判断をするための準備を怠らないようにするのが、民主主義国家の有権者の基本だと言えます。

メディアや官僚の嘘と羊飼いの少年

-私達の暮らし・政治と社会
-

© 2024 明日を読む