ワールドカップ、オリンピック…。国際大会で感じるささやかな違和感

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陽は昇る 私的日録
日々の移ろい・感受した
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今明朝はワールドカップを観戦していた方も少なくなかったでしょう。残念ながら私は結果をニュースで”観戦”したのですが、たいへんな試合だったようです。日本の大健闘は別として、私がニュースで感じたのは勝負に対する日本人の感覚についてでした。                          テレビではベルギーのファンが登場して”日本がこんなに強いとは思わなかった”とか”次はとても勝てそうにない”などいうのですが、それを受けた”スタジオ”では、相手がわにこんな発言をさせるほど、日本はベルギーを苦しめたのだというコメントを挟みます。さて…

例えば外国の方とビジネスなどで激しくぶち当たった場合、私の印象ですが、相手側の意見が通った場合、その議論のあとで”君の意見には私も同意するところが多い。よい話し合いができてよかった”と言って握手をしてくるのですが、こちらの意見が通った時は決してそんな態度はとりません。むしろ、その場をさっさと立ち去ってしまうような印象があります。そんな時、こちらが気を回すつもりで労いの言葉をかけ、握手を求めようものなら、なんとも言えないような”屈辱に耐えかねない”といったような表情をするように思います。

おそらくですが、昔から「水に流す」文化を持つ日本。また「根絶やしにされるような大虐殺」などの経験に乏しい日本では、闘いに対する意識もかなり違うのではないかと思います。まして武士道を是とする歴史的背景もそこに加味されて、独自の「他者の善意を信じてしまう」習癖があるのだと思います。これは良し悪しではなく、考えの違いなのです。

 

先の例で言えば、闘いの勝者は敗者が苦し紛れのアンフェアな行為にでることを予防する為か、或いは相手を子供扱いすることで、更に屈辱を与える意味合いで”お前たちもよくやったと思うよ。俺たちの相手じゃないけどな”くらいの意識ではないかと感じます。つまりそえは”似非善意”といったようなもので、そこには日本人が好きな爽やかさはありません。

これから世界に羽ばたいて行く若者には、この点を注意してもらう必要があると感じます。先の戦争の時、敗れて満州から引き揚げてくる際、連合軍の似非善意を信じて武力放棄したため、シベリア抑留や民間人の引き上げ人が受けた犠牲は歴史に刻まれるほどの悲惨なものでした。あの時、”戦いの相手は、決して武士道など信じず、きっと甘い言葉で騙してくる”、そう考えていたら、全体の引き上げを完了してから武力放棄しただろうし、それは世界的には趨勢といえるものだったと思います。

対世界では、そうした”甘さ”や”人の良さ”を受け入れながらも、それに頼る事ない考え方も学んでおくべき。国際大会ではいつも感じます。

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