陽は昇る 私的日録
日々の移ろい・感受した
ことを書き連ねました
今回の愛媛、広島、岡山に被害が集中した豪雨災害ではすでに200人以上の死者が出ています。日本と言う国は水に対する敬意と畏怖が意識の中に深く密着されています。”水に流す”思想は、世界にも類似の文化がなかなか見当たりません。”水入らず”、”水を差す”差す、”水心あれば魚心”…と、水に関わることわざや言い回しは他国の比ではありませんし、外国では絶対に言わない”I’m sorry”。日本では”すみません”とされますが、これを言わない方が常識に欠けると考えられますが、この言葉もかつて川や畑の水を濁してしまって”澄まなく”なってしまったことに由来すると言われます。
今回の災害だけではありませんが、日本人にとって馴染みの深い”水”は、液体であり、容易に活用できるだけに、身近でコントロールの容易な物質だと考えてしまいますが、その影響の範囲の広さや膨大なエネルギーが自然界に起こすダメージの巨大さには改めて畏怖を感じざるをえません。日本の歴史はこうした水に対する感謝と、時に狂暴化する水災害への畏怖で綴られています。
連日、報道される被害状況を見ていると気付く事もありました。当初、岡山県倉敷市に被害地が集中していますとの報道が続きましたが、と言う事は、あの倉敷美観地区もかなりの被害がでているのかと思いましたが、テレビに移された埋没した映像は、もっと北西部地域のようでした。総社市、高梁市、井原市、真備町…。気付いたのは、この地域は、且つて秀吉が毛利氏を攻めた時、黒田如水がこの地は水攻めが効果があるとして進言した、あの備中高松城水攻めの舞台と地域的にかなり、重なる事です。以前、出典は失念したのですが、なにかの古文書を読んでいた時に、こうした文章を読んだ覚えがあります。黒田如水の持っていた知識は、当時はどれだけ知られていたものかは知りませんが、このエリアが今でもハザードマップとかなり重なるのは、地理的な特性は数百年では変わらないことを表しているのかも知れません。
同じことは、東北の震災によって起きた大津波についても言えます。災害が起きてかなり経ってから、江戸時代に設置されていた石碑の存在が明らかになり、そこには「ここより海寄りには家を建てるな」と彫られていたそうです。そこには三陸沖の海の持つエネルギーの最大規模が残された資料であるとも読み取れます。
実は地方の博物館や資料館、博物館には、この手の”先人の知恵”が刻まれている石碑や古文書は結構あります。しかしこれらは資料とか出土品的な扱いとして保存されてはいますが、決して”古の人達が、子孫のために残したメッセージ”という価値感で扱われることはありません。ましてや、それを現代の災害対策に活用しようなどとは考えないのが常識化しています。
20世紀末期から、世界的な科学技術の爆発が起きていますが、欧米では常に科学と宗教という縛りで、科学の暴走をセーブしようとする流れが見られますが、やはりそこに過去の”情報や知恵”が考慮されることはありません。そんなものは役に立たない、古い伝承に過ぎないと決めつけられているからでしょう。しかし医療技術にしてもIT技術、その他革新的なテクノロジーにも、その事業の検証の中に、過去の旧い伝承や文献の中にある、現在の最新科学に通じる知恵やメッセージを活かす情報があるとは考えられないでしょうか。例えば神道の考えの中に、或いは仏教の教義の中に、現代科学と一致するものは実に多く存在するのですが、それは経験値からでたもので、非科学的と処理されてしまいます。
私は、震災や豪雨災害、その他、あらゆる現代の災害の現実を見るたびに、現代の科学だけでの検証には限界を感じてしまいます。新たな技術の失敗を回避するための”術”はいろいろありますが、科学で立ち向かうのも術であるなら、遥かなる祖先の方々が、様々な形で遺してくれた貴重なメッセージを組織的に読み取るのも重要な術ではないでしょうか。
まして日本には、それを文書などで子孫に残す考えがありました。その子孫が自分のものでなくても、その地域に百年後、千年後住んでいる人たちに対するメッセージを残す考えがあるのですから、真剣にその検証を学問レベルで取り組む必要があると思われます。日本はあきらかに”災害によって強くなった国”です。或いは”災害によって、学んできたことを、活かしてきた”民族です。「古の知恵をもっと活用できる社会」については、真剣に考えてゆくことも必要ではないかと考えます。