IR法案は時の趨勢。ギャンブル野放し社会こそ問題の本質だ

陽は昇る 私的日録
日々の移ろい・感受した
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IR法案についてはそれをギャンブルとみるのか、多目的総合リゾートとみるのかで意見が分かれるようですが、要は”今の”ラスベガスのようなものを日本で取り入れるか否かです。わざわざ”今の”と入れたのは、このような文化は常に激しく変化するものですから、何年かかけて完成したら状況が変っていることもあります。その場合も、時代の流れに則して敏感、且つ速やかに変化しなければならないのですが、これは日本人が全く下手なジャンルなので一抹の不安があります。

私としては別にカジノに必要性は感じません。しかし総合リゾートとなると魅力も感じます。世界的なイベントや展示会、文化的イベントが東京以外で見られたり、日本が得意とする技術や文化の発信が一か所でできるなんて面白いことです。脱東京一極集中の解消の一手でもあります。

若い頃は知見を広める意味でラスベガスなどにも行きましたが、その頃のラスベガスはもうありません。今やコンセプトを大きく変えてギャンブルの街から総合リゾートに姿を変えたのは、さすがアングロサクソンの考えそうなことだと感心します。個人的には、もし日本でIRをするなら巨大客船を3隻ほど購入してIR施設にして、日本全国を巡回させるのが良いというように考えています。

しかし、IR法案の反対意見を聞いていると、漫才を聞いているように感じます。彼らは専門家の意見を持ち出して「日本には300万人を越えるギャンブル依存症がある。だからこれ以上の患者を増やしてはならない」と言います。日本にはカジノはありません。つまり、パチンコや競輪、競馬などの公営ギャンブルによる依存症患者が300万人以上いて、それは医学上の患者のみならず、経済的破綻者や、それにまつわる犯罪を多く生み出している深刻な事態でもあります。どこの駅前にも必ずと言っていいほどパチンコ屋があります。今ではいろいろと名称もイメージも変えてはいますが、これらの土地は戦後不法占拠されたものが多いという指摘もあります。平日でもパチンコ屋の駐車場には多くの車が止められていて、この人たちは何をしているのかと訝しく思う事もあります。とても成熟した社会とは言い難いことでしょう。

はっきり言って、いま反対と言って活動されている人や団体はこれまでなにをしてきたのでしょうか。わたしの知る限りアリバイ的に多少の動きはしていても、このようなギャンブル社会の解消のために行動も起こしているのは知りません。つまり日本全国でパチンコなど公営ギャンブルは事実上無制限に公認されているという形です。今さらカジノを同じ理由で反対する動きには違和感があります。いやむしろIR法案ができれば、その分喰われてしまうことを懸念するギャンブル業界の片棒を担いでいるとしか思えないのです。

私はIR法案がいけないというなら、それを機に公営ギャンブルを、特にパチンコ業界などを大いに規制し、廃止を視野に進めて行くべきことも求めるべきだと考えます。IRは総合リゾートですから、絶対にカジノがなくてはならないこともありません。国民が求めるのであれば、世界にもないような、これからの世界の高齢化に則した、心の安らぎを味わえる日本独自の総合リゾートがあってもよいのだと思います(それで経営が成り立てばですが)。そして10年計画でも良いので、日本からパチンコなど公営ギャンブルを無くしてゆく法案を通す必要があるのだと思います。国民の総意に反した国つくりを続けて行くのか、既得権益を守る事で、国体を維持するのか、その意味ではこれは原子力発電の問題とよく似ています。

明かに日本にはギャンブルが国民の間に瀰漫しています。これほど、無作為にギャンブルを放置している国は世界にも例がないかも知れません。確かにギャンブルは底なしの利権の塊ですが、同時に亡国のシナリオでもあります。IR法案が制定され、どこかに総合型リゾートができれば、それは自然に現在の公営ギャンブルのキャパを喰うので、多少なりとも効果的ではあるかと思いますが、IRがどうのというのではなく、日本がいまのようなギャンブル野放図社会でこのあと100年良いのか。街中にギャンブル依存施設が乱立するような国で満足できるのかなど、日本人と日本社会の在り方についてこそ論議されるもので、決して政争の具とすべき問題ではないのだと思います。

 

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