日本企業のパラダイムの変化が起こした、信じられない不祥事の連鎖

昨今の日本の一流企業の考えられない不祥事の連鎖は、国内のみならず世界にも衝撃を与えているという報道が後を絶たちません。日本の企業は戦後、ゼロからスタートしながら、極めて短期間に高いクオリティとコストパフォーマンスを実現し、絶対的な信頼を得てきたと言えます。ところが昨今続いている大企業の不祥事のレベルというと、あまりにレベルが低過ぎて言葉がありません。
2006年、内部告発者を保護する法律である「公益通報者保護法」が施行された結果、これまで表にでることの少なかった企業内の不祥事が知られるようになったのですが、業界をよく知る情報通の中には、「今後、どれだけの企業が告発者からの“通報”を受けて打撃を受ける事になるかを考えた時に背筋が冷たくなる」と言う人もいます。
それ程、この問題は奥が深いのでしょうか。また、一部に言われている“日本企業を狙い撃ちした外国の陰謀”なのでしょうか。知れば知るほど、深い傷口が見えてきます。

 

 

日本のコンプライアンスは稼働している?

ちょっと思い出すだけでも、日産自動車や三菱自動車などによる燃費データーの改竄やタカタの欠陥エアバック、無資格の従業員が完成検査を行っていたなど、いくつもの大企業の不正があります。東芝の利益水増問題に至ってはあきらかに不正会計という、企業が絶対手を染めてはいけないものだと言えます。

ライバルと言えるエレクトロニクス大手企業が次々に業績を落とす中、大したヒット作も出していないように見える東芝だけが、安定した収益をあげているのは、私達も疑問でしたが、業界関係者にとっては不思議でもなんでもなかったようで、まだ東芝問題が発覚する1年以上も前に、ある知人は「東芝の会長は経団連の会長席に執心していたから、変に無理しているみたい。あれほどの収益などあがるはずがない」と平然と言っていたのを思い出します。

しかし私がもっと驚くことは、海外の論調では今でも「それでも日本企業のコンプライアンスは非常に高い水準にあり、信頼に値する」としていることと共に、これだけの背任行為が日常的に繰り返されているにも関わらず、犯罪行為として、これと言って逮捕者が出ていないことです。
前者に関しては、これからが本番だと言っても差し支えないと思います。冒頭の知人が「背筋が凍る思いがする」と言うように、まだこれからどれだけの不祥事が表にでるか分かりません。後者については日本の構造的な問題が深く関わってくるでしょう。

企業経営者の能力がなくなった?

5~6年前、オリンパスの社長であった、イギリス人のマイケル・ウッドフォード氏が自社の1100億円に及ぶ所得隠しを暴露しました。それだけでも信じられないのですが、調査が入ると創業一族に及ぶ、公私混同…というより、“平気で横領”していた実態が明らかになってきました。高学歴な経営陣や外部監査、コンサルティング・ファームなどが厳密なチェックをしているはずですから、これは単純なミスなどとは次元の違う、明確な犯罪行為です。しっかり数字を把握して、それが犯罪行為であることをしっかり認識した上で「まあ、いいだろう」と横領しているのです。もちろん彼らは「経営者」ではなく「泥棒」に過ぎません。経営者が泥棒なのですから、どうしようもない。そういうことなのでしょう。

これに関して、企業経営者の能力がなくなったのだと言う方もおられます。「戦後ゼロからスタートした日本経済は創業者の努力で世界有数の経済大国になったのだが…」というフレーズが必ず使われますが、ここにちょっとした誤解もあると感じます。確かに戦後、日本はゼロからスタートしました。しかし経営者や技術者の能力が決してゼロであったわけではありません。それどころか、あのような世界情勢となり、優秀な人々が両手両足をもぎ取られることがなければ、間違いなく第二次世界大戦の時間軸には、戦争がなくても日本経済は世界と肩を並べていたと考えられます。それだけの能力は歴史の継続を見ても日本にはあったと思われます。
となると、今日、日本の経営者が、それも大手企業の経営者がこれほどレベルが問われる事態となったのも、何か別の…ある種の人的問題が影響しているのではないかと考えるのは私だけではないと思います。

AIが解決する? 経済の人間問題

普通、今日の日本経済の低迷を考えると浮かぶシナリオは「戦後日本経済は飛躍的な成長を遂げていて、それに邁進する事で経営者はその能力を大成することができた。しかしその後、もうこれまでのような成長は期待できないと判断した経営者は、経費や人件費の削減や数字弄りで業績を作ることが自らの仕事だと考え、それを実行してきたため、このような事態となったのだ」というものです。

初期に飛躍的な成長を遂げ、その後の競争時代となりなにも出来なくなったと言えば、IT業界も同じ轍を踏んでいると言えるでしょう。アメリカなどのIT産業のあとにくっついて行き、規制に守られ、美味しい日本市場を独占するだけで天下をとった気分でいるような経営者はこの業界の名物です。その点、日本社会に貢献してきた建築業大手の経営者とは、その考え方や現場との接し方から見ても全く違っています。

そう考えると、日本の経営者が何かを成し遂げたという例は、ごくまれな一部の例を除いて、ほとんどない。先人の築いた立派なレールと異常なまでの官僚規制に守られているに過ぎないのではという点に帰着します。それほど日本の企業は現場によってなりたっています。その現場から出た経営者は、能力は問われない「身分化」された象徴となり、それに群がる外部と結びついて有名無実化するのだと言えるのではないでしょうか。畢竟、日本の経済問題は、戦後の左傾化社会や伴う教育などの劣化、一部の既得権益者や東京一極集中の弊害などに毒された人間の劣化に繋がるのだと言えるでしょう。

今後、いわゆるAIが、経営に関与するようになると、企業の社長派AIで充分だという時代が、もう目の前に来ているような気がします。もしAIが80%の精度を持つと仮定すれば、会社経営は勿論、法律や行政、国会運営(政治ではありません)などに至るまで、これにとって代わるという議論がなされて行くでしょう。そんな時、現在の企業の多くは、どのような理論武装ができるのでしょうか。

 

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