戦後、育たなかった起業家を尊敬する意識と時代に逆行する税制

陽は昇る 私的日録
日々の移ろい・感受した
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ある企業の社長で創業者の方と会食をしました。その会社はそれほど大きくはないのですが、従業員も80人雇用し、毎年しっかり黒字経営をしている優良企業ではあります。ご子息はおられるのですが、残念ながら後継者にはなられないようでもあり、且つ同氏もそこそこの齢となってきたこともあり、会社をどうしてゆけば良いのかのご相談でした。今はその対策としてM&Aが流行りのようですが、ほとんどの場合、これは仲介業者がぼったくった挙句、畢竟大企業に転売する程度のことで、起業の精神や社会性が持続されることはほとんどないと断言してもよいと言えます。氏にはそこそこの動産、不動産資産もありますが、普通に相続税を課されれば、そのほとんどを失うことになるため、”会社を興して何十年も社会のために尽くしてきたのに、最後に待ち受けているのはこの仕打ちか”と憤慨もされています。因みに世界的にも相続税の取り立てを強化する国は日本をおいて他にはあまり聞かない現象です。

日本には戦後、起業家に対する尊敬は育ちませんでした。今でも松下幸之助や本田宗一郎などはその対象のように見られますが、全体に比べてごくわずかであり、70年代を過ぎると代表的経営者は現れません。それにともない奉仕的従業員の努力と犠牲の上になりたったような企業経営者が、自分の名誉的肩書を増やしたいばかりの売名的活動にかまけているので、益々人気はなくなります。日本ではむしろ、絶対的権力を持つ企業経営者にたてついて冷や水を飲まされながら功を成す現場の人間を評価する”判官びいき”的発想はあるのですが、それとても絶対的支持にはならず畢竟、力になびいてしまいます。

もちろん”持つ者”にも言い分はあるでしょう。せっかく努力して財を成しても、それを子孫に継承させることができない社会システムであれば、別の形で何かを継承させるしかなく、その為にはなんらかの社会的地位を残すことでそれに替えたくなるのは当然なのかも知れません。その為、戦後の日本では子孫には”○○の息子”とか”○○が関わった事業”あるいは”○○の息のかかった人物”などという、かなり怪しげな人脈や、それに基づいたある種の”ネームバリュー”や”ある範囲内での権力構造”が相続される場合がほとんどだと言えます。これに何らかの政治的、社会的、業界的な権威や権力が絡んでくると”わけの分からない奇妙な人間関係”が跋扈することになるのですね。

ボクシング協会会長の訳の分からない理論。医科大学の相も変わらない裏口入学システム。次々に内部から露呈される大企業の経営幹部の不祥事のとどまらない連鎖などは、このいびつな社会体制に常識のライトをあてることでみえてくる影の姿の異様さを表しているのでしょう。且つて小泉進次郎議員は”日本は既得権益者社会だ”と言いましたし、努力して生産する民間企業ではなく国民に奉仕するはずの公務員や役人が、絶対的な地位と権力を約束される社会環境からは、おそらくまともな国民感情など生まれて来る術もないかも知れません。

四半世紀を越えて声高に叫ばれている”改革”が絶対に必要であった平成年間。日本はこれと言って大した改革は行ってきませんでした。断言できるのは、何しなかったシワ寄せが、これからの日本社会に深刻な影響を及ぼしてきて、日本が世界の端に追いやられて行くのは、これから始まる惨事だと言う事でしょう。

 

 

 

 

 

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