真摯な姿勢で政治を学ぶ。国を良くするために私達に必要なこと

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メディアでは頻繁に”支持率調査”というのをします。誌上には質問項目などが掲載されますが、実際には質問する側の誘導があります。だからかも知れませんが支持率には独特の”動き”があります。とても政治能力のない人が好意的な評価をされていたり、能力があってもネガティブな報道とマッチさせて最低な支持率を記録したりというようなことです。かつて朝日新聞が”主催”した”椿事件”というのがありました。これに関してはネットでもいくらでも検索できるので知らない方はご覧いただくことをお勧めしますが、要するにメディアが気にいらない首相を追い落とすために、すべてのメディア仲間と共謀して、今で言う極端なフェイク報道を繰り返したわけです。そして椿事件でそのターゲットにされたのが、現在の安倍首相の第1次内閣の時でしたが、現在でも第二、第三の椿事件もどきが引き継がれていると言ってもよいかも知れません。

政治家の力量を正しく判断するくらいの見識は持つべきである

先の支持率調査でも”安倍内閣の支持率は非支持率と均衡”という見出しが躍りましたが、これなどはメディアのミスリードの成せる業だと思われますが、私は有権者のほうにも問題はあると思います。少し真面目に国の政治を見ていれば、現政権が歴代の総裁に比べて極めて高い政治能力を発揮している事は分かります。これは私が安倍首相を支持しているとかいないとかという問題ではなく、単に事実を正しく評価することで得られた結論です。現在の内閣の仕事を見ていれば、少なくとも支持、非支持が均衡するなどとは考えられないことです。かつて民主党政権下で鳩山という輩が国を滅ぼすレベルの痴態をさらしていながら支持率が高かったことがありましたが、これなどは今の日本人の見識が、いつまでたっても左翼メディアのプロパガンダ報道の域をでない、程度の低さを如実にあらわしているのではないかと思います。

トランプ合衆国大統領のまれに見る政権能力と発想力

このようなことを、今の世界で口にすると総スカンを食らう気がしますが、その意味ではアメリカのトランプ大統領の政権担当能力も大変なものだと言えるでしょう。ずいぶん愚かしいことだと思いますが、報道を見ているとトランプ大統領に対する論調で、その能力について冷静に分析をしているのを聞いたことがありません。やれ“差別的な発言をした”とか“攻撃的で荒っぽい性格である”などと言うのですが、その後に続く肝心の報道内容を聞くと、そうした“付け足しコメント”とは関係がないことが分かります。
おそらく、あれほどのネガティブキャンペーンを張られた政治家と言うのは、世界にも例がないのではないでしょうか。しかし、実際に彼がとった政策を検証すると、少なくともアメリカ合衆国として、或いはアメリカ国民にとっては歓迎すべきものです。それを“保護主義”だとか“アメリカ・ファースト”などとして、マイナーなイメージ付けを図るのですが、100年前の保護主義と現在のそれとは、まったく異なったものであることには触れてはいません。とにかくトランプ憎しなのでしょう。アメリカと敵対する国々や、アメリカ国民でありながら、現状で既得権益を享受している勢力には許しがたい正論なのかも知れません。南米からの移民問題でも”トランプ大統領は同情すべき南米の難民に銃を向けた”などと言いますが、国を不法移民、難民から守るのは大統領の正しい判断に他なりません。それが気持ちの上でつらく思えても、国を代表するものは”馬謖を切る”覚悟がなくてはなりません。自国の国民の生活を守るためには、自国の産業や利益を守る判断をするのは当然で、それが”グローバル化”には反すると言われても、アメリカ国民のために決断するのが国の代表のすべきことです。

史上最悪のレッテルを貼られ続けている森元首相

その意味では、日本でトランプ大統領と同じ扱いを受けたのが、森喜朗元首相かも知れません。あの頃のメディアの暴走や、それに洗脳された世論の未熟さは今は覚えている方も少ないでしょうが、事実はどうであれメディアが文字に残せば、後世の人々はそれを事実として受け入れるという悪い例です。しかし、世界を動かすトップに位置する政治家は個人で動いているわけではなく、まさにその国の最高レベルのスタッフを擁しているわけですから、おおよそ凡人では想像すらつかないほどの厳しい仕事をこなしています。それは畢竟国益、国民のためのものですから、私たちは事実を知る努力もせずに批判的なスタンスの軽薄なメディアの情報を鵜呑みにして受け売りすることで、彼らをこけ降ろすなどという行為に走る事は慎むべきでしょう。実際に、トップ政治家の”本当の仕事”について真剣に学べば、そこに得るところを限りなく感じ取ることができるのも事実です。

先日、産経新聞の1面に”読む価値のある記事”が掲載されました。知らざれる日露交渉を描いたもので、真の政治の姿を表したものとしてとても高い価値を感じる文章でも、また内容でもありました。読み飛ばすのは勿体なく感じましたので、是非ともここでご紹介したいと思います。以下は新聞紙上に掲載された文章です。(写真は筆者が挿入しています)

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シンガポールで行われた安倍晋三首相とプーチン露大統領の日露首脳会談を受け、北方領土交渉が本格的に動き出した。その裏には、安倍首相の後見役であり、師匠である森喜朗元首相の姿があった。「ヨシ」「ウラジーミル」とファーストネームで呼び合う森、プーチン両氏の20年近い友情の軌跡を追った。(石橋文登)=文中敬称略

8月16日。爽やかな夏空が広がる山梨県富士河口湖町の富士桜カントリー倶楽部に4人の首相経験者が集結した。安倍晋三、麻生太郎、小泉純一郎、そして森喜朗。冗談を言い合いながら和やかにプレーに入ったが、森だけはうかない表情だった。いつになく体調が悪かったのだ。
肩で息をしながらコースを歩いていると、安倍が「大丈夫ですか?」と声をかけ、手を引いてくれた。「ありがとう。申し訳ないな」と言い、プレーを続けようとしたが、4ホール目で胸がキューと締め付けられるように痛んだ。
森はここでプレー続行をあきらめ、東京の病院に直行した。医者に「ハーフを回ったら集中治療室でしたよ」と言われた。以来、森はポケットにニトログリセリンを忍ばせている。
森が何より悔しかったのは、9月8日からのモスクワ行きを医者に止められたことだった。露大統領のウラジーミル・プーチンから翌9日の「松竹大歌舞伎 近松座」開会式に招待されていたのだ。
「ウラジーミルは何か大事なことを伝えたかったに違いない」
そう思って残念がっていたところ、ビッグニュースが飛び込んできた。
9月12日、露ウラジオストクで開かれた「東方経済フォーラム」の会合で、プーチンは安倍を見つめながらこう言ったのだ。
「今思いついたのだが、一切の前提条件抜きに年末までに平和条約を締結しようじゃないか」
森はこのニュースを聞いて得心がいった。
「ウラジーミルは私にこれを伝えたかったのか。ついに本気で動き出したな」


森の父で元根上(ねあがり)町長(現石川県能美市)の森茂喜(しげき)は、大のロシアびいきで「悪いのは共産主義でロシア人は善良だ」が口癖だった。遺言も「日ソ草の根交流を引き継げ」だった。それだけに森のロシアへの思いは深い。
そんな森が初めてプーチンに会ったのは、首相就任まもない平成12(2000)年4月29日だった。
プーチンは、大統領就任を翌月に控え、多忙を極めたが、森との非公式会談に10時間以上を費やした。
「もうロシアはかつての共産主義のソ連じゃない。自由と民主主義の国じゃないか。領土問題を解決し、平和条約を結べば日露関係はダイナミックに変わる」
プーチンは、森の熱い語り口に親近感を感じたのか。以来、森にだけは本音を話すようになる。
同年9月にプーチンは来日し、森にこう言った。
「ヨシ、領土問題さえ解決すれば日露はもっと組める関係になる。ただ、私はまだ大統領になったばかりなので、もう少し時間が必要なのだ」
森は翌13(2001)年3月に訪露し、プーチンとイルクーツク声明に署名した。日ソ共同宣言を「平和条約交渉プロセスの出発点」と位置づけ、「歯舞群島と色丹島」と「国後、択捉両島」の交渉を分離する並行協議でも合意した。
一気に日露関係に動くかと思われたが、翌月に森は退陣してしまった。森は次の首相となった小泉純一郎に日露交渉を継続してほしいと願ったが、田中真紀子を外相に起用したことにより、外務省は大混乱に陥り、日露交渉は振り出しに戻ってしまった。


森は退陣後も何度も訪露し、プーチンと親交を重ねたが、日露交渉は膠着(こうちゃく)したままだった。再び動き出したのは、平成24(2012)年12月に安倍が首相に返り咲いてからだった。
翌25(13)年2月、森は安倍の特使として訪露し、プーチンと16回目の会談を行った。プーチンは前年3月に一部外国メディアの会見に応じ、「引き分け」という日本語を持ち出して「領土問題を最終的に解決したいと強く願っている」と語っていた。
森が「引き分け」論の真意を問うと、プーチンは紙に大きく四角形を書き、こう言った。
「これは道場だ。端っこで組むからすぐに場外に出て『待て』となる。真ん中で組んで初めて『よし、始め!』となる。これが引き分け論だ」
森は1枚の写真を取り出した。3(1991)年4月にミハイル・ゴルバチョフがソ連大統領として初来日した時の写真だった。末期がんだった元外相の安倍晋太郎がゴルバチョフと面談した際、父を後ろで支えていたのが、若き日の安倍晋三だった。
「見てくれ。これがシンゾーだ。シンゾーの日露関係をよくしたいという思いは本物だぞ」
森がこう説明するとプーチンは食い入るように写真を見つめた後、「この写真をもらっていいか?」とほほ笑んだ。森がうなずくと大切そうにスーツのポケットにしまった。


この2カ月後、安倍は日本の首相として10年ぶりにロシアを公式訪問した。領土交渉は一気に加速するかに見えたが、またもやブレーキがかかった。
2014(平成26)年のウクライナ騒乱とクリミア危機だ。3月18日にプーチンがクリミアの併合を表明すると、欧米が一斉に反発。日本も対露制裁に同調せざるをえなくなった。
同年8月下旬、露チェリャビンスクで開かれた世界柔道選手権。プーチンがここに現れると、柔道家の山下泰裕に向かって鬼の形相でこう言った。
「シンゾーには裏切られた。全く信用できない男だ」
山下から連絡を受けた森は慌ててモスクワに飛んだ。9月10日、プーチンに会った森はこう諭した。
「ウラジーミル、君の怒りは誤解だ。安倍が科した経済制裁は実害のないものばかりだ。嘘だと思うならよく調べてくれ」
それでも「日本は米国に追随してばかりだ」とプーチンの不満は収まらない。森はこう言い返した。
「日本の周りは核を持った国ばかりだ。彼らが核を使用した時にあなたは助けてくれるかい?」
けげんな顔つきのプーチンに森はたたみかけた。
「助ける義務はないよね。日露には平和条約さえないんだから。でも米国は同盟国だから助けてくれる。言葉はよくないが、米国に追随せざるをえないところもある。そこをよく考えてくださいよ」
そこで森は再び安倍の若き日の写真の話を持ち出し「シンゾーはあの頃と何も変わっていない。俺を信用するなら安倍も信用してくれ」と頭を下げた。プーチンは黙って聞いていた。
これが奏功したのか、日露関係は再び動き出した。
平成28(2016)年5月、プーチンはロシアの保養地ソチで安倍を笑顔で迎えた。夕食を含め3時間に上る会談で、安倍は「新しいアプローチ」の交渉を提案し、プーチンも同意した。同年12月には、安倍は自分の郷里である山口県長門市にプーチンを招き、手厚くもてなした。
29(17)年7月、森は露エカテリンブルクでプーチンと旧交を温めた。プーチンは森の誕生日(7月14日)を祝って大きなケーキを用意して歓待し、帰りは大統領専用車で森をホテルまで送ってくれた。森はプーチンをこう評した。
「義理堅い男なんだよ。柔道がなかったら今の自分はいなかった。柔道が自分の人格を形作ったと信じている。昔の日本人はこうだったな、って感じかな」                     (以上、産経新聞記事より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・              日本では不思議なほど、年齢が上がるほど左傾が定着しています。先の大阪都構想の住民投票でも、ほとんどの世代が賛成票を投じていました。しかし、左翼やそれを組織化している公務員や医師会、弁護士会などはある程度しかたはないでしょうが、60歳を越えた特に団塊の世代だけで逆転現象が起き、僅差で反対となり、また大阪は要らぬ遠回りをする羽目になりました。これもこの世代が、まじめに政治のことなど考えたことのない集団層であることの証左なのかも知れません。
これからの日本を支えるべく若い世代の意思を、高齢者のエゴで押さえつけているのが現状であるのならば、すこしでも多くの有権者が、本当の政治の情報に触れて、社会を変えてゆく先鞭となればと考えます。

 

 

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