「あおり運転・暴行事件」に皆はなぜ憤っているのか

常盤道のあおり運転暴行事件は、その映像と共に犯罪者に対する著しい憎悪感を植え付けました。日頃容疑者の顔写真を発表しない警察も、今回は今の(?)顔写真を公開し、指名手配をしました。また、公開された顔写真の風貌が、特に刺激をしたのかも知れませんが、一般国民の反応は尋常ではありませんでした。当然、犯人に対する怒りが背景にあるでしょう。しかし私は、皆があれほど憤ったのには別の面があるように思います。

 

「あおり運転」とはなにか

車を運転しない方でも「あおり運転」という言葉の意味は理解できるでしょうが、簡単に説明しますと、まずこれは法律上の用語ではありません。明確な定義があるわけではありませんが、一般的には、執拗に公道で異常な急停車をして他車の走行を止めたり、車間距離を詰める、幅寄せを行なう、クラクションを鳴らすなどして、周囲の車の通行を阻害する迷惑行為のことをいいます。今回のような明らかな暴力行為は別としても、あおり運転をきっかけに暴力事件に発展したり、殺人事件にも繋がることがあります。

 

 

これらの危険な運転行為によって、人を負傷、死亡せしめた場合は、危険運転致死傷罪になります。これは、かつては暴行罪の一類型として刑法で定められていましたが、平成26年の法改正で危険運転致死傷罪は刑法から「自動車運転死傷行為処罰法」に移され、「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」が成立しました。飲酒運転などによる危険運転も、この法律の範疇になります。この、自動車運転死傷行為処罰法の危険運転致死傷では、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処するとされています。

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司法や警察に向けられる怒りの矛先を軽視するな

さて、ここまで聞いて、どのように感じるでしょうか。これは今回の事件にも関わってくることですが、今回のあおり運転暴行事件などは、明らかに犯人に対する怒りが主導するのでしょうが、私は、司法や警察に対する感情的憤慨もあると考えます。

一般的なドライバーの感覚でも、警察は道路交通法の取り締まりなどで、軽微な違反の取り締まりを行っていて、悪質なもの、事故に繋がる危険性のあるものであれば、それはそれでよいのですが、明らかにポイント稼ぎとしか思えないような取り締まりをしていると、ドライバーが頻繁に道路上で遭遇する、超悪質なドライバーに対して“こんなことをしているくらいなら、悪質なドライバーを捕まえろよ”と憤るのは、仕方がありません。

 

また今回の犯罪についてはまだ裁判となっていませんが、先般の東名高速の理不尽な殺人ともいえる事故では18年の実刑が言い渡されましたが、これとて2人を殺した犯罪ですので軽いとしか言いようがありません。毎度のように、こうした悪質ドライバーには、人権派弁護士というのが付き、この判決が妥当であるかなどと言いだすのが常套であり、時には明らかな犯罪行為でも不起訴になることもあります。常日頃から司法について不満が蓄積している中で“またか”という思いが、今回は犯人の指名手配写真と言う形で爆発したように感じます。

誤解を恐れずに言うと、あおり運転というのは多くのドライバーが受けていますが、また自分が軽微なあおりをすることも比較的ある行為だと思います。それだけに誰もが感じている、道路交通上の理不尽については、今後エキサイトする可能性があります。現在、それをセーブできるのは、道路交通法であるという点では警察には是非とも、その辺りを注意してあたっていただきたいと思います。

 

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